よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012/06/21(木) 00:10:11

ツイッターをしていたら、タイムラインで興味深い感想が紹介されていました。otoQtさんのブログ、「自動再生」さまの「プレイヤーを殺すための物語――『White Album 2』」。ご本人に色々と質問をさせて頂き一応内容を消化できた感があるので、今回「感想の感想」を書いてみたいと思います。

この論の序盤の軸は三つ。
 (1) 本作で、「死にたい」と思うほどのつらさを味わった。[体験]
 (2) エロゲー(ギャルゲー)というのは主人公との同一化を目指す。[原理]
 (3) しかし本作はその同一化を拒む。[作品]

主人公への共感?」の段ではこれを受け、『WA2』では主人公とプレイヤーとの同一化を拒むシステム的な仕掛け(主人公のヴォイス、視点の頻繁な入れ替え)が多くほどこされていること。そして、そのような場面こそがなぜか「いたたまれない」のだと展開していく。つまり、同一化ができない場面においてこそ、プレイヤーはつらさを味わう、という定式化がなされます。

続く「書かれないセリフ」では、「難聴主人公」と「ヒロイン視点」を例にとり、実は同一化を拒む原理は『WA2』に特殊な事態ではなく、エロゲー一般の特徴であることが示されます。エロゲーにおいてある程度定着したこの手法によって、プレイヤーはシステム的(内容とはさしあたり関わりなく)に「主人公から引きはがされる」。これは上記の論の裏付けです。そして新たな立場として、同一化を拒まれたプレイヤーが能動的に作品世界を構築する必要にせまられる、という主張が出てくる。

そこから「プレイヤーはどこにいるか」のトピックとして、物語の内部から排除されつつも「物語へはより深く関わる」ことを強要される、「宙づり」なプレイヤーの立場が論じられます。

そして最大の難所、「〈自己〉と〈わたし〉」。ここは少々難しすぎて混乱していたのですが、ツイッターで直接お話をうかがい、何となくですが理解しました。
【補注】 私の混乱は主に、「実際に肉体を持ち、ディスプレイに向かい、マウスをクリックする、ゲームの内には何ら関わることができない〈自己〉」という表記から窺われる〈自己〉の身体性が問題なのか(だとしたら、精神的な〈わたし〉が傷つくことで身体が物理的に傷つくというのは明らかに飛躍である)、それとも〈自己〉というのは〈わたし〉とは違う精神的なものなのか(だとしたら今度は、〈わたし〉との質的な差が不明瞭に思われた)というところだったのですが、otoQtさんの説明によると、「ベルクソンによる意識の反省による自己分裂」を念頭に置きつつ、さしあたりは「メタとオブジェクトぐらいの意味」で書かれたとのことでした。この辺は管見の及ぶ限りになりますが、当時流行だった量子物理論の絡みなども意識しておられるのでしょう。
観察者としての〈自己〉と、実際に世界の中に存在する〈わたし〉の立場の分裂。そして更にその〈わたし〉が複数に分裂してしまう。これらの「分裂」をotoQtさんは、重層的な自傷作用だと指摘しています。すなわち、「〈わたし〉が物語の中に巻き込まれ傷ついている」だけでなく、更にその〈わたし〉を統御する〈自己〉も「自らが〈わたし〉達を傷付けている」状態を引き受けねばならず、傷つく。現場の〈わたし〉と、それらを統御する〈自己〉が共に傷を負っていく。それゆえ「この作品、White Album 2は「恋愛ゲームで〈プレイヤー〉を傷付けるにはどうすればよいか」という問いへの現時点で最良・最悪と思われる答えを提示している」と結論される。

ではなぜ、〈わたし〉は傷つくのか。それは、この物語が「恋愛」だからだ。そうotoQtさんは考えている。恋愛という一つの〈世界〉の構築過程の中で、複数の〈わたし〉は一旦排除されるが、それが「分裂」したものである以上、その〈世界〉と関わらざるを得ない。だから、「〈わたし〉の〈世界〉から排除された他者が〈世界〉の内に侵入してきたとき、〈わたし〉は傷つく」のだ、と。(※ここは私の読み込みです。なぜ〈わたし〉が「他者」として侵入してくるかは、本文にはハッキリとは書かれていなかったように思います)

以上が、私が読み取った限りのotoQtさんの主張であり、恐らくそれほど大外しはしていないのではないかな……。誤読しているところや、解釈が通っていないところがあれば指摘していただけると嬉しいです。


さて、私はこのように読んで幾つかの不満や疑問を覚えました。疑問としては、「〈自己〉と〈わたし〉」が良くわからないというところが一番大きかったので直接質問にうかがったのですが、他にも幾つかある。そして、不満はもう少し、この感想に対する本質的な問題を孕んでいる……と私は考えています。

まず、疑問の方から参りましょう。otoQtさんはプレイヤーが「宙づり」になったということから敷衍させて、次のように述べておられます。「どのキャラクターとも十分に同一化できないということはつまり、それぞれ場面においてそれぞれのキャラクターに同一化しうるということでもある」。

これは、〈わたし〉の「分裂」へと繋がる重要な箇所ですが、どうもうまくいっている感じがしない。なぜなら、はじめはそもそもプレイヤーがあるキャラクターに同一化することそのものが常に妨げられる(音声で主人公が相対化される/視点が順繰りに描かれてどちらにも同一化できなくなる)という意味での「宙づり」さが問題だったはずが、いつの間にか「それぞれの場面において」キャラと同一化できるが物語全体を通しては無理だという「宙づり」さ――すなわち、物語内で一貫したキャラクターに同一化できるか否かという一貫性(統一性)の問題にすりかわっているからです。何らかの方法で繋がる気はするのですが、現状書かれている内容からだけでは、アクロバティックになる気がする。どんなキャラにも同一化というと、作中の千晶が思い出されますが、やっぱりあれはあれで特殊な才能と言えます。質の違う「宙づり」をどう繋ぐのか。ここはこの感想の謎の一つです。
【補注】 この部分はPalantir_Kさんが「プレイヤの立ち位置は流石に本とかと変わらんと思うけどなぁ。」と呟いておられたのが参考になりました。本の場合、そもそも「それぞれの場面」でキャラに同一化をしないパターンもあるわけですから、一人のキャラ(主人公)に同一化できないということと、各場面でどのキャラにでも同一化できるということは、さしあたり分けて考えるのが良いのかな、と。
また、疑問はもう一つ。otoQtさんが感じた「いたたまれなさ」が本当に「分裂」の痛みなのか、ということも問題です。この感想で示されたのは、両者が同じ局面で発生する痛みであるというところまでで、本当に同質のものであるかまでは言及されていません。そんな細かいこと、と言われるかもしれませんが、初発の問題が「こうも死にたくなるのは何故なのか」というところから出発している以上、こちらのほうが本質的な問題という風にも思います。

つまり、〈わたし〉が傷つくということは、果たして死を希求するほどの痛みを伴うのか。痛み・傷つくことがあるのは認めるとしても、それから「逃げたい」というのと、「死にたい」と思うほどの苦しみとは、ただちに同一なのか。もしかするとそれとは別の何かがあるのではないか。別の言い方をすれば、otoQtさんが感じられた痛み・辛さは、主に作品の内容よりも形式に依存してもたらされる「痛み」と同質のものであるということで良いのか。この感想を拝読して、やはりそのことは気にせずにはいられないところでした。

次に、不満(疑問と分ける為に便宜上こういう言い方にしました。大きな負のイメージはありません)について。私のメインの主張はむしろこれ以下になります。

第一に、ここでotoQtさんが「理由」として述べておられる内容の大半はシステム的な問題です。少なくとも、物語の内容そのものとはほとんど関係が無い。そしてまた、そのシステムは多くのエロゲーに共通するものです。真意はともかく、そのようなものとしてotoQtさんは述べておられる。たとえば、「主人公に音声」は数は多くないにしても時々見かけるレベルですし、視点がころころ切り替わるというのも同様。それは、「難聴主人公」や「ヒロイン視点」という形一般的特徴として表現されていることからも明らかです。

いや、その「程度」こそが『WA2』の凄さだ、ということが主張であったことは理解しているつもりですが、それはつまり、ここで扱われている問題が『WA2』に固有の問題ではなく、エロゲー一般で共有可能なことがらの「程度問題」だということになります。事実、結論である「最良・最悪と思われる答え」という言い方も、「最」という比較の形に落ち着いている。

で、あるならば。形式としてはその「程度」の内実が『WA2』の感想として論じられるべき問題であるはずです。たとえば、普通の主人公音声アリと、『WA2』の主人公の音声はどう違うのか。「癖がある」という形で触れられていましたが、まさにその「癖」がどのようなものであるかというところにこそ、この作品のオリジナルな部分がある。otoQtさんの今回とられた論述スタイルならば、そこに踏み込んでこそ読者は満足できるのではないか、と。「程度」の内実に踏み込まず、一般的・原理的な話に終始したせいで、『WA2』でなくても通じる話との区別が不明瞭なまま。

そして第二。第一とも繋がるのですが、今回の話はつまり、ほとんど全てのエロゲーは「プレイヤーを傷つける」ものだということになる話だと思います。他のエロゲーと原理的に違いがない(程度の差である)部分で『WA2』の「痛み」が成立しているのですから、他のエロゲーは徹底できていないだけで、徹底するとどれも皆、プレイヤーを傷つけるものになりうる。この感想のロジックをきちんと突き詰めると、そうなるはず。

だとすれば、これはとても斬新な――otoQtさんがそこまでラディカルな意図でお書きになったかはわかりませんが――意見です。普通エロゲーは、「オタクの現実逃避」だの、「優しい妄想」だのと言われていますが、それと全く異なる「オタクは実はドM」説を唱えていることになる。賛否は措くとしても、あまり聞かない。

しかし斬新とは言っても、それは結局の所、ただ単に担ぐ御輿を換えているだけという気がしないでもありません。「エロゲーの、都合良く自己投影できるシステムによって、オタクは逃避している」という主張が、「エロゲーの、都合良く自己投影できるシステムによって、オタクは傷ついている」になっただけ。これが「オタクは社会参与している」になるか、「オタクは承認を求めて悲鳴を上げている」になるか……。最終的には解釈を巡る論争が待ち受けているでしょう。
【補注】 加えてこれだと、更なる問題が残ります。エロゲーユーザーの大半が自分を傷つける行為を喜んでやっているなら、じゃあなぜ自殺しないの? とか、そもそもなんで喜んでやってるの? という問題。これは「普段のエロゲーは極限化されていないから気づかないだけだ」のような答え方ができますが、帰結としてエロゲーを楽しんでいる人間は鈍感なバカであって、本当はエロゲーなんてやめたほうが良い、ということにもなりかねないので、個人的には乗っかりにくい議論かなと思います。
エロゲーというシステムに関する解釈をすることがが悪い、という話では全然ありません。ただ、その路線の先ではotoQtさんの出発点にあった問題意識――「こうも死にたくなるのは何故なのか」――が消えてしまう。それは、とても勿体ない、残念なことに思われるのです。


otoQtさんが一貫してとっておられる手法は、エロゲー一般に共通するシステム、あるいは構造上の問題として作品を扱うという態度です。一部で言及される作品(『WA2』)の個別的要素も、全て一般性に回収されています。故にそこからは、一般的なユーザーと一般的なエロゲーの関係が浮き彫りにされてくるしかない。

いやもちろん、そもそも言いたいのは一般的なことだ、ということなのかもしれません。この感想の主旨はつまり、「『WA2』というのは既存のエロゲーの性質を極限に高めたものである」と。それでも、その性質の極限とそうでないのを分ける規準はどこかといった前述の問題点が残るとはいえ、それなら判る。この作品に内容的オリジナリティなんてものは基本無くて、要素面からエロゲーを突き詰めた、きわめて記号的な作品である。最初からその地点が目指されていて、「エロゲーはユーザーを傷つけるもの」という結論が出たというのならすぐれて論理的な、社会学チックな議論という感じがします。

しかし私の直観では、この感想が取り出そうとしていたものは、そういう要素的な話では無い。振り返るに、otoQtさんの感想は「《こうも》死にたくなる」というきわめて個人的な衝撃から始められていました。一般的な人間なんかではない「otoQtさん」と「『WA2』」という、それぞれに固有の存在の交わりの問題こそが出発点だった。実際、otoQtさんが書いておられる他のご感想もちらりと拝読しましたが、そちらでは作品の具体的な内容をotoQtさんの個性が捉える様を表現しておられる。とても面白かった。

今回の感想も恐らく、初発の時点ではそのようなものだった。けれど手法としてシステム分析的な手法を持ち込んだが故に、かえって『WA2』の個性も、otoQtさんが切実に感じた「痛み」も、どこかへ消えてしまっているように私には思われました。少なくともこの感想から、『WA2』の具体的な像はほとんど見えてこない。そして私は、最初の書き方からその書かれていない方を期待してしまったし、今でも読みたいと思っている。そういうことです。

システム的な話で通すなら、「死にたい」というつらさも『WA2』という作品も、最初から具体例の一つとして扱うほうが妥当だったでしょう(そしてそうなると、一つの作品に対する感想・批評と言えるか問題が発生する)。逆につらさや作品自体に寄りそって行くなら、具体内容にほとんど踏み込まない、今回とっておられるような手法はマッチしないのではないか、と。

私が過去の記事で述べてきた、「言わんとすることと言えていることのズレ」あるいは「主張とそれに適した手法(切り方)」という問題が、非常に具体的に、かつ端的にあらわれていたように思われたので、今回ご本人に失礼を承知でお願い申し上げて、「感想の感想」を書かせて頂きました。恰も議論の素材のように使ってしまい、礼を失することになっていないかと危惧がないでもありません。

otoQtさんのご感想を私は興味深く拝読したし、また私なりに全力でその内容を読み取ろうと試みたつもりです。本記事は一概に私の主張のためのものではなく、最初にも述べた通り、あくまでも本旨は感想を拝読しての感想です。そして傍目になんと見えても私のような人間からすると、曲がりなりにもこういう形で感想を書くというのは、それだけ本気で敬意を払っているのだ(片手間でやったつもりもありません)と言うことはお断りしておきます。

とは言い持って、大変失礼なことや憶測じみた発言も多々。お気に障られた部分などあり愛想を尽かされるかもしれませんが、この場を借りてお詫びと、取りあげることを快諾いただいたことに感謝を申し上げます。otoQtさん、本当にありがとうございました。

ちなみにこれまた毎度の繰り返しになりますが、システム的・エロゲー一般的な話と比べて、作品個別の話のほうが良いというつもりはありません。「勿体ない」と申し上げたのはあくまで、切実な初発の問題意識が回収されずに進んだ気がするからで、むしろ一般的なことこそが最初から目指されていたということなら、私が初発の問題を重く取りすぎたということなのでしょう。

しかし、私がここで述べたかったこと――感想で言おうとしていることと、実際に何が言えているかということの違い――は、多少なりとも伝えられたのではないか。今回はそのようにうぬぼれてみます。そうして、これは敢えて論争的な書き方をしますが、その辺についてきちんと考えずに作品の感想を書いたり読んだりしていることが、私たちは余りにも多い(自分を含めています)のではないか。自嘲もこめて、そんな風に思うのです。

作品を楽しめれば良い。難しいことを考える必要なんて無い。それはそうかもしれません。でも難儀なことに、私たちは――少なくとも私自身は、感想を書いたり、その感想について語ったりすることもまた、エロゲーを楽しむという行為の一貫に組み込まれてしまっているのです。であれば、せめてそのことと真摯に向き合っていきたい。バカにされてもうっとうしがられても、そのスタンスは貫いていこうと思っています。少なくとも、自分が何を言いたいのか、他の人が何を言おうとしているのか、それをきちんと読み・考えられるようにはしたいな、と。

なお、私ならばどうしたか、というのはここでは直接の問題ではないので文章化しませんが、クソ長い過去の記事が不十分ながらも一応の説明ということにさせてください。

なんかまた長い話をしてしまいました。まあ台風だしそれもアリ(意味不明)。それでは、また明日。

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コメント

超お久しぶりです!

超お久しぶりです!お元気でしたか?
いつもブログを拝見しています。

otoQtさんの『WA2』感想の感想ですが、
otoQtさんの「死にたくなる(ぐらいつらい)」とは、
分裂した幾つもの<わたし>が傷つくことによって、
otoQtさんが「いたたまれなさ」を感じたのかな?と思いました。

<わたし>が傷つくことで、痛みを感じるのは<自己>
分裂した<わたし>が傷つくことで、痛みを感じるのもやっぱり<自己>
<わたし>もしくは分裂した<わたし>が傷つく選択を選ぶことで、痛みを感じるのは<自己>

具体例として、
かずさTrueルートにおいてそれまでずっと付き合っていると思わせていた雪菜の両親に春希が謝りに行くシーン

小木曽家で春希が雪菜の両親に謝罪する場面
春希のつらさ、小木曽父の悲しみ、小木曽母の悲しみ、小木曽弟の悲しみ

雪菜の両親に頼まれ彼女の友人の朋が雪菜をファミレスに引き留める場面
朋のつらさ、雪菜の悲しみ

これらの分裂した<わたし>の痛みが相乗効果になって、<自己>が大きな痛みを感じる

→otoQtさんがこの作品の中で上位の「いたたまれなさ」を感じたのではないかと思いました。

「言わんとすることと言えていることのズレ」は難しいことですよね。
確かに書き手としては100%という想いはありますが、自称「簡潔派」の私にはかなり重いテーマです(泣)

okjさん江

お久しぶりです! お陰様でなんとか生存しております。辺鄙な場所まで足をお運びいただき、ありがとうございます。またコメント頂けて嬉しいです!

> 分裂した幾つもの<わたし>が傷つくことによって、
> otoQtさんが「いたたまれなさ」を感じたのかな?と思いました。

私も、そのように思いました。私の読みはokjさんの読みと近い気がするのですが、説明下手でごめんなさい。・゚・(ノД`)・゚・。

まず、「いたたまれない」(語義的に、「その場所にいたくない」=「逃げたい」)と、「死にたい」は同じなのか問題。傷ついて「いたたまれない」というのは解る。実際、otoQtさんもしばらく遠慮したいと述べておられる通り、「このゲームもうやめ!」でもよかった。

ところが、逃げ(られ)なかったせいで「死にたい」辛さを味わった。つまりotoQtさんの「死にたい」は、「いたたまれなさ」だけでなく、そこに残りたい気持ちとの板挟みから出ているのではないか。

だから「傷つく」に重心を置いたotoQtさんのご説明に対し、「傷」によって感じる「いたたまれなさ」と「死にたい」は同義なのかという疑問がでました。

もう1つ。okjさんのご解釈だと、雪菜たちそれぞれの悲しみが何だったかが問題になります。この『WA2』の人物の悲しみはこんなのだからこそ、本当に辛かったんだ、という話になる。雪菜たちはそれぞれどんな悲しみを背負ったのか(彼らは自己分裂の痛みを味わったわけではないでしょう)。それはユーザーの具体的な解釈の問題のハズです。

でも、otoQtさんの書き方だとその部分が見えないな、と。私もokjさんと同様、otoQtさんは実はその個々の悲しみの内容を受け止めて、「死にたい」という感想を出されたのだと思ったのです。でも、このご感想からは悲しみを具体的にどう受け取られたのかが見えない。そもそも、悲しみだったのかも解りません。

それで「こうも死にたくなるのは何故なのか」というotoQtさんの最初の問いかけの答えは出たのか。「問い」と述べられている内容が違うんじゃないか、というのは本文で述べた通りです。

私も「簡潔」な文章を書きたいと常々考えているのですが、言いたいことを入れすぎるせいか、長く書いてもごらんの有様。こうしてお話をさせて頂く中で上達できればいいなと思っています。

というわけで、またお付き合い頂けると幸いです。okjさんもどうぞお元気で。

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