よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012/07/26(木) 22:44:16

センゴク
宮下英樹『センゴク』
(集英社、2004年〜)
 第1部「センゴク」 全15巻
 第2部「センゴク 天正記」 全15巻
 第3部「センゴク 一統記」 続巻
 外伝 「センゴク外伝 桶狭間戦記」 全5巻

アニメ化した影響もあってか、『織田信奈の野望』が私の周りでは大流行しておりまして、昔から細々と布教活動をしてきた身としては、嬉しいような「ニワカどもめ……」と斜めから見たいようなフクザツな気持ちではございますが、まあ姫様にならって「デアルカ」と言っておくのが穏当でしょうか。

さて、「信奈の野望」に限らず最近は戦国ものが色々ブーム。いろいろと面白い作品がたくさんでている中、個人的にイチオシなのは、ヤングマガジンで連載中の宮下英樹『センゴク』。おそらくこれまでほっとんどスポットが当たってこなかったであろう武将、仙石秀久(権兵衛)を主人公にするというウルトラ思い切った漫画です。

本編は現在、甲斐の武田家が滅亡。毛利遠征のところまで来ています。本編もさることながら、『センゴク外伝 桶狭間戦記』が滅茶苦茶面白い。今川義元が足の長い超絶イケメンなのが気になるものの、「大名」とは何かということを全く別のアプローチから問い続けた二人の英雄という構図は斬新で、それぞれの施策や法律を通して描かれる信長と義元(および太原雪斎)像がとても魅力的です。

この漫画は要所要所で、戦国時代の文書を簡単に紹介しながら、「だがこの通説には疑問が残る」と独自の解釈を展開します。某NHKの「その時歴史が〜」は、胡散臭い史料を平気で混ぜて(たとえば源平合戦では創作物を事実の中に混ぜたりしていた記憶があります)、さも「これぞ歴史の真実」のような語り方をしますが、それとはまったく逆。「一般的にはこうだっていわれてるけど、でもそれだとここ説明がつかないよね。じゃあ、この史料ってこう読んでみたらどう?」という感じで新説が提示されます。

宮下氏自身はこの手の話に対しては素人だそうですが、考証自体は東大の史料編纂所・本郷和人氏らの協力を得ており(コミックスあとがき)、またきちんと出典も明記されていることからそれなりの信憑性を期待しても良いとは思います。ただ、この漫画の魅力はそこではないだろう、と。

私たちは歴史(あえて曖昧な言い方をします)を見るとき、「信長の狙いはこうだった」とか、「こういう事情で小早川は裏切ったんだ」というような話を好んでします。ただ、それは現代の視点、現代の知識から導いた「説明」であって、できごとそのものではない。『センゴク』という漫画の大きな魅力は、この「説明」を相対化し、私たちを歴史というできごとの中に誘ってくれるところにあるように思います。

かつて森鴎外は、「歴史其儘と歴史離れ」という小論を書き、次のように述べていました。
わたくしは史料を調べて見て、其中に窺はれる「自然」を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になつた。これが一つである。わたくしは又現存の人が自家の生活をありの儘に書くのを見て、現在がありの儘に書いて好いなら、過去も書いて好い筈だと思つた。これが二つである。
 わたくしのあの類の作品が、他の物と違ふ点は、巧拙は別として種々あらうが、其中核は右に陳べた点にあると、わたくしは思ふ。
鴎外の言う「歴史其儘」が何であるかということは、それはそれとして大きな問題ですが、少なくとも「説明」とは異なっているのは確かでしょう。近代の学問を経て、私たちは容易に現実のいろいろなことを「説明」できるようになりました。林檎が木から落ちるのは万有引力であり、雷は静電気であり、地震は地殻変動によって生じるのであり……と。けれど、そのことは実際に生じたできごと「其儘」ではない。阪神淡路大震災のメカニズムをどれだけつぶさに究明し、マグニチュードと死傷者数を正確に並べてみせたところで、それはあの災害の総体ではない。私のDNAをどれだけ解析し、綿密なデータを重ねたところで、そのデータの束が私自身であるということはない。

勿論、「其儘」を取り出すことなど可能なのか、ということは改めて問われねばなりません。しかし、私たちの悪い癖は、「説明」ができたらそのできごとの全てを理解できたような気になってしまうというところでしょう。言葉にならない感情も、言葉にすると何かわかったような気になって安心してしまう。ことがらの「説明」も同様です。「説明」がはあることがらの切り取りであり、それによってそのことがらが見えやすくなるのは確かであるにせよ、それは同時にあることがらのもつ奥行きを説明によって消してしまうことでもある。

たぶん、私が『センゴク』という作品に感じる面白さというのは、鮮やかな「説明」に起因するものではありません。むしろその逆で、ある鮮やかな「説明」が見落としていたもの、切りとばしてしまった余白や深みを拾ってきて、それを見せてくれる。そのことによって、「もっとこんな解釈もあるんじゃないか」という思いを抱かせてくれる。津本陽や隆慶一郎の小説がそうであるように、私たちには容易に理解できないもの、あることがらの「説明」からはみ出していく部分を描き出しているところに、この作品の魅力があるように思います。

馬場美濃守(信春)が長篠の戦いで何を思って敵の鉄砲隊の中に飛び込んでいったか。武田勝頼が見据えていたものは何だったか。吉川経家がどうして鳥取城に籠城し、自害にこだわったか。そういう部分を「説明」ではない「物語」として描いている。現在から切り取ったできごとを無造作に提示するのではなくて、当時に寄りそいながら、抑制された描写の中にあるできごとの奥行きを浮かび上がらせている。「わかった!」という気にさせて満足を与えてくれるのではなくて、「もっと知りたい」という気にさせてくれる、そういうタイプの漫画です。

そんなわけで、本日は『センゴク』のお話でした。この流れだと、明日まっ先にプレイするのは『平蜘蛛ちゃん』(※リンク先18禁)かな! 抱いて爆死!

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