よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012/08/19(日) 15:09:19

先日、「会社のソーシャルメディア担当になったらクビになりそうになってる件」というスレッドが仲間内で話題になっていました。

まとめサイト「痛い信者」さんで紹介されているので、さくっと見たい方はこちらを。

内容が本当かどうかはともかくとして、会社の公式アカウントを使って外には言えないようなことを平気で言っちゃう……こういうのは割とよくあるなあと思います。ツイッターの犯罪自慢ツイートじゃないですけど、自分のいる場所が世界と繋がっているという意識が希薄……というか無い。

そして、そういう良くわかっていないことをもとに判断を下すからかような悲劇が起きるのでしょう。この時は「あるある……」と思うくらいで軽く流していたのですが、その直後に次の記事を読んで、ちょっと色々と考えてしまいました。

●山本弘のSF秘密基地BLOG 2012年8月16日記事「コミケにトンデモさん襲来

内容は何というか、コミケでトンデモさんに絡まれました、自分の狭い了見が絶対的なものだと思わないようにしましょう、という内容を刺激的なエピソードとともに述べている記事なのですが、やはりこういう話に触れると、私は相互理解の難しさということに思い至らざるをえない。お互いに思っているはずなのです。「どうして俺の言ってることを、奴は理解しないんだろう?」と。そしてそれは、上記のような特殊なシチュエーションでなくても常に存在しているものです。

私はエロゲーのレビューを書いたり読んだりしますが、やっぱり自分にあう感想とそうでない感想というのはある。逆に自分の感想について厳しい意見を頂くこともあります。最近はだいぶ減りましたが、メールで熱心に「指導」してくださる方もおられました。

そう言うときにつくづく感じるのは、人によって本当にものの見方は千差万別で、自分の見ているものは他人の見ているものとは違うのだな、と言うことです。先日『古色迷宮輪舞曲』の感想で「クオリア」がらみの話を色々と書きましたが(ブログではなく投稿したほうの感想)、たぶん日常のあらゆることが、人によって違う見え方をしているハズなのです。私達は普段、その違いをうまく見なかったことにして、あるいは気付かないことにしてやり過ごしている。ずっと気を張っていたら疲れますからね……。でも、ふとしたきっかけでそれが噴出することもある。それが、上にリンクを貼ったようなエピソードなのかもしれません。

人と人の考え/ものの見え方が違うことは、これはもう必然です。どうしょうもない。だから私達は、その中でいかにして関係を作っていくかというその方法を考える必要がある。だいたいですが三つくらいパターンがあるでしょうか。

一つは、これまで通り「違いなんてなかったことに」する。多くの場合はこれで何とかなるでしょう。たまに、上の例のようにとんでもないことに巻き込まれるかもしれないけれど、それはごくごくレアなケース。普通に暮らしているぶんには、そう滅多にお目にかかることは無い。

考えられる次の手は、「ごり押し」。高橋昌一郎『理性の限界』(講談社現代新書、2008年)には「チキンゲーム」のエピソードとともに次のようなことが書かれています。

チキンゲームの最も合理的なナッシュ均衡によれば、どちらかが車を避けなければならない。そこで、相手に避けさせるためには、最も非合理的な戦略を取るというわけですね。そこで、理性を捨てること自体が、理性的な決断と言えるのか……。(p.101-102)

少し補足します。ここで言うチキンゲームというのは、車2台が向き合ってアクセルを踏み、先に逃げた方が負け、というゲームです。この時最悪なのは車の衝突による死亡。次に敗北。一番良い結果がゲームの勝利、ということになります。「ナッシュ均衡」というのは簡単に言えば、あるゲームにおいて各プレイヤーが最大の利益を得るような合理的な選択の均衡解が一意的に存在する、ということです。

そしてチキンゲームにおけるナッシュ均衡は、どちらか一方が勝利すること(両者死亡よりは良い)です。だとすれば、必ず片方が避ける、というのがチキンゲームの合理的決着となる。すると、次のような結論が理性的に導かれます。すなわち、チキンゲームの参加者の片方が理性もなにもないイカれた奴で、「俺は絶対避けない!!」ということを相手に伝えてしまうと、相手は自分の利益を最大にするため(少なくとも死なないようにするため)に、避けるしかない……。

「無理を通せば道理が引っ込む」ではありませんが、無茶苦茶を言っても最後まで言い続けていたら勝ち、というパターンです。しかしこれはやはり「理性を捨て」なければならない。ある意味でとても精神力が必要です。先のブログで紹介されていた「マギカ陰謀論」の方なんかはこのパターンだと思いますが、少なくとも負けは無いかわりに、色んな意味で頭のネジを飛ばす必要があるだろうことは想像に難くありません。そして、そういう彼を「かわいそうな人」と切り捨ててしまった山本弘氏もまた、形は違うけれどこの図式に巻き込まれていると言える。

最後に、「それでも対話を目指す」という選択肢がある。ただ、これは恐ろしく困難。しかも、先が見えない。なにせ、自分の言いたいことをただ伝えるだけでなく、相手が何を言いたいかもくみ取り、その相手に対して伝わる言い方で自分の考えを表現していかなくてはならないのですから。

この時に必要なのは恐らく、自分の考えを説明する力以上に、相手が何を言わんとしているか、そのことを読み取る力でしょう。相手の考えを理解することは不可能だという前提に立つなら、それが無理だと分かっていて、それでもなお相手の立場に立った解釈を試み続ける精神力が求められる。

私にはこの能力がかなり欠けているし、こう言うことが失礼でないなら、現代の多くの「評論」や「批評」を読むと同様に感じることが多々あります。作品や、あるいは作品に対してなされた批評をどのくらい丁寧に見ているか。自分の枠組みを単に押しつけるだけになっていないか。分かるところだけ適当にうけとってしまっていないか……この道を目指すと、常にそういう自問自答になやまされます。

もちろん単に、相手に表面的に迎合すればいいわけではありません。私が思うにですが、「対話を目指す」というときにまず必要なのは、相手の考えを自分なりに突き詰めて考えるということだと思います。そうすることで、良いところも悪いところも見えてくる。そのうえで、自分の考えとどこがどう違うのかを考えてみる。そうしなければ、相互理解の可能性というのは開けない気がする。

これは相手の言い分を「不当に」軽く見ない、ということでもあります。軽く見て、所詮こんなもんだ、と思ってしまったらその時点で押しつけになり、交流の可能性は減ってしまう。

それはチキンレースで言えば、途中でお互いに車を止め、同時に車から降りる。そういう選択肢を探るということかもしれません。

どの選択肢がベストなのかは人それぞれでしょう。中途半端な引き分けを選ぶくらいなら是が非でも勝ちを目指さないといけないという人もいれば、時には自分から負けを認めてでも命を大事にするという生き方もある。そうやってそれぞれに道を選ぶしかない/選ぶことができるということこそが、「人間の理性の限界と可能性」だと信じたいところです。

と、うまくいえたか分かりませんが本日はこの辺で。それではまた明日。

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コメント

お久しぶりです

相変わらず暑い日が続いていますが、お体など大丈夫ですか?
私のお勧めは『古色迷宮輪舞曲』じゃなかった、温かい紅茶です。(もちろん古色も、ですよ!)暑い日に涼しい部屋で飲む紅茶は贅沢ですね〜。どうでもいい話ですが、マリアージュフレールのマルコポーロという紅茶がお気に入りです。OYOYOさんのお口に合うかどうか分かりませんが、機会があれば是非どうぞ!(もし紅茶が嫌いだったら、ごめんなさい)

さて本題の人と人の考え/ものの見え方が違うことの話ですが解決策として、
1)違いなんてなかったことにする→相手をスルーする
2)ごり押し→意見を押し通す(自分or相手が)
3)それでも対話を目指す→相互理解を目指す?
ということで良かったでしょうか?

お互いに相手の意見には納得しないが主張が異なることを認識した場合も、やはり3)に属するのでしょうか?(最終的に相互理解は得られていませんが、対話はしています)
1)はノーゲーム、2)は勝ちor負け、3)引き分けという区分になるのかな?

相手の立場に立った解釈を試み続けることに関してOYOYOさんは努力されているように見えますが、自分に厳しい方なのですね。私は全然駄目かも・・・(泣)

最後に、ブログの発売中応援作品の中で一つだけレビューされていない作品があるのですが、今後書かれる予定はありますか?これからもOYOYOさんのレビューを楽しみにしています。

okjさん江

お久しぶりです! 暑い日が続きますね……。お見舞いありがとうございます。okjさんもどうぞお体にはお気を付け下さい。

マルコポーロ、覚えました……! 紅茶は結構好きなんですよ。尤も午後ティーレベルで、自分で淹れて飲むほど凝っているわけではありませんが、喫茶店のご飯を食べた後「コーヒーにしますか? 紅茶になさいますか?」と訊かれて「野菜ジュース」と答えるくらいには……アレ? あの作品のお陰で興味沸いてググったりもしていたので、良い情報ありがとうございます。やっぱりティーポット買わないとだめなのかな……。

さて本題のほう。私の想定はだいたいokjさんが仰っている感じです。なんかとてもざっくりした内容で申し訳ないですが。

「お互いに相手の意見には納得しないが主張が異なることを認識した場合も、やはり3)に属するのでしょうか?」というのは、私はそうだと思います。というか、3)が可能になるのは相手と自分の主張がどう異なっているかを見極めるところからはじまりますので、そのステップが無いと先へ進めないかな、と。

私は感想について偉そうにスローガンだけ掲げるけれど、肝心の内容が伴わず全然ダメで……。最近は他の方のレビューとか紹介するほうが良いんじゃないかという気すらしてきました。でも、そんな私の感想でも楽しみといってくださるokjさんのような奇特な方がおられるのは嬉しい。のみならずこうしてそれを言って頂けるというのはとても励みになります。ありがとうございます。

しかし、okjさんは読みやすく伝わりやすいレビューを書けて羨ましいです。高評価の『終わるバ』(ネタバレなのでこれは読んでいませんが)興味あるんですけどねー。お金が……(´・ω・`)。

触れていない「姉さん」ゲーに関しては、ぶっちゃけクリアーはしているものの、消化しきれず感想を書くか迷っています。okjさんのご感想の最後はロマンティックで楽しかった。あと美々は膝を打って同意です。全然関係ないのですが、開発日誌にもあった「本作の英語表記は『Astraythem』です。こちらの意味を調べてみるのも面白いかも?」というやつ。単にastray(迷って・堕落して)にthemがひっついているのでしょうか。ちょっと気になってたり。何となく意味はわかる気がしますけど。

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