よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012/09/01(土) 16:29:18

先日のことになります。kaikokaikoさんの『はつゆきさくら』の感想について、ツイッターでちょっと呟いたら思った以上に色々なご意見を頂きましたので、割と今更なんですが少しだけこの件について書いておくことにしました。まあこの件では私のような考えの人は少数派だと思うし、周りの人はとりわけこのご感想で盛り上がっていたので水をかけるというか、逆に前回のツイート等でご不快を与えていたら火に油を注ぐことになるというか、そういうのがちょっと怖いですが、それでも書いておく意味はあるかなあ、と思ったので。

といっても、批評空間さんでの採点がどうあるべきかとか、投票やコメントのつけかたがどうあるべきかとかそういう問題とはあんまり関係ありません。その辺は人の自由だと思いますし、ぶっちゃけ私が興味あるのは作品の内容と言説のほうで、点数はどうでもいいかなっていう……。いや、点数をデータとしてどう読むかには興味ありますけどね。

今回わざわざ記事として書くのは、言説に対するスタンスが私自身にとって重要だと思ったからです。しかし、いきなりその話をしはじめても話が飛びすぎますかね……。ひとまずは今回の件をどういう問題として捉えるか、そのことを検討するところから入りたいと思います。(※以下、「良作」・「佳作」というのはkaikokaikoさんのユーザー情報欄の定義に準拠)

kaikokaikoさんの主張の内容
とりあえず、kaikokaikoさんのご感想がどのような内容だったかキチンと把握しないと話になりません。まとめると次のような感じでしょうか。

(1) 『はつゆき』は中央値84点だが、平均的で飛び抜けた作品ではない。(「普通」の一言)
 ・理由:「エロゲテンプレの良くいるキャラという印象」

(2) 中央値80点以上の作品というのは、飛び抜けたところがある。
 ・具体例:『こんにゃく』『月姫』『ひぐらし』『G線』『つよきす』『大悪司』『AIR』『かにしの』『うたわれ』『あやかしびと』『加奈』『プリンセスうぃっちぃず』『大番長』『痕』『群青の空を越えて』
  ・80点というのは「一つの壁」(コメント欄)

(3) よって佳作の『はつゆき』に84点はおかしい。
 ・80点以上の作品には「勢いというか魂というか、そのようなもの」がある。
  →「尖った作品が少なくなった」(コメント欄)
 ・「80点未満の作品に感じる「良いところもあった」感を非常に強く感じた」
 ・「感覚的には75点周辺の作品たちと並ぶのがしっくり」くる。
  →具体例:『CloverPoint』『いつ空』『こみパ』『姉しよ2』『秋色恋華』『とらハ』『青空の見える丘』

(4) これに84点の中央値をつけている最近の批評空間の基準は甘くなった。
 ・今後出るであろう名作(+荒削りな迷作)までスルーするようにならないことを懸念(コメント欄)


疑問点
さて、上記の意見はわかりやすくて、かなり解りにくいと私は思いました。どういうことか? 簡単に言えば結論はすごくハッキリしてるんですが、どうしてその結論が出てくるかはよくわからないということです。たとえば、「はつゆき」に84点付けるのが甘いというのが、どうして「今後出る名作をスルー」することになるのか。名作なら、別に「はつゆき」とは関係なく良い点数がつくんじゃないの? と思います(この辺は後で解消します)。また、中央値80点以上の作品の「飛び抜けた」ところも良くわかりません。私の知る限り『CloverPoint』は妹ルートでもの凄くハジけていたし、『姉しよ』シリーズも属性特化のとんがった内容。『こみパ』も、当時出来たばかりのLeaf東京開発室デビュー作ということでもの凄い気合いが入った斬新な作品でした。

私はそれらが80点を超えるべきだと言うつもりはありません。いや、むしろ私の中では妥当であるとさえ思われます。ただ、それはあくまで私の考えです。多分、kaikokaikoさんのお考えとは違うはずです。そしてその違いを無視して、私の考えをkaikokaikoさんのご感想に押しつけてしまうのは拙いんじゃないかなと思うわけです。要するに、私はkaikokaikoさんが考える「85点前後」の飛び抜け具合が何なのかを知りたくなる。でも、たぶんそれは書かれていない。だから「かなり解りにくい」と思うのです。

というわけで、ちょっと解りにくいところを整理しながら話を進めます。ただ、私自身の考えをまとめるのが大変面倒なので、私が疑問に感じたことをトレースするという形で進めさせてもらいます。

[0] なんで80点がラインなんだろう?
まず不思議だったのはここでした。私の場合75〜84を満足ラインに設定しています。80点を境に佳作と良作を切り分けるというのとはスタンスが違う。また、批評空間さんでブランド別作品リストを選ぶと、中央値75点以上で色が変わるようになっていました。ということは、75点以上が「壁」と読むのがシステム的には妥当である……というような話も成り立つはず。ただ、その部分は叩いてもひたすら不毛でしょう。そもそもkaikokaikoさんは、実感として批評空間さんには80点前後に中央値の壁があったはずだと述べておられる。だから、得点は80点が境界になるべきか否かのような話として読むとつまんないと思います。よって、この思考はここで一旦打ち切り。

[1] 「最近の評価は甘い」ってホントに言える?
これは実証性とか手続きの問題。要は、結論ははっきりしているけどホントに妥当なの? ということです。たとえば『はつゆき』を高く評価している最近のユーザーの多くが、『AIR』に70点をつけていたら、過去の良作は厳しく評価されていると言えます。このように、「昔なら評価が低かったような内容の作品が高評価」であることと、「最近の評価が甘い」こととは必ずしもイコールではない。たぶん「最近の評価が甘い」ことを言うなら、一番単純なのはここ2、3年の中央値の平均(平均値ではなく)を計算して過去の中央値平均と比べるとか、そういう手続きが必要のはずです。この点は全くしっかりしてないよな、と思っていました。

[2] 「甘い」ってどういうことなんだろう?
さて、次。私の中では「最近は評価が甘い」というと、どんな作品にでもポンポン高得点がつく、というイメージです。ところが、どうもkaikokaikoさんはそういうことが言いたいわけではなさそう。

kaikokaikoさんのご感想は、「テンプレキャラ」しか出てこなくても良作扱いになるのが「甘い」という風に読めます。確かに、明らかに劣っていると思われる部分があるのに高く評価されていたら、それは「甘い」。ですが、たとえば『加奈』や『月姫』のグラフィックはやはり最近のCGクオリティから見れば劣って見えます。しかし、これが高く評価されるのは「甘い」と言わないらしい。つまり「甘い」というのは、評価基準がゆるくなっているという意味だけではなさそうです。

では、どういうことなのか。まずkaikokaikoさんは、キャラやストーリー、ゲーム性など「特定の部分の評価」に限って「甘い」か否かを判断しているように見えます。たとえば、演出(CV・音楽)やCGは判定基準として入れていない感じがする。それら「特定の部分」が飛び抜けていれば高得点、ということなのでしょう。まあこれは、人によって評価を重視するポイントが違うというだけの話なので大したことではありません。重要なのはむしろ次のこと。つまりkaikokaikoさんがおっしゃっている「甘い」というのは高得点がつきやすいかどうかではなくて、一流認定が出やすいか出やすくないか、ということだったのではないか、ということです。

私の説明がわかりにくいですよね。私もわかりにくい(爆)。ちょっと例を使って説明しましょう。

たとえば野球で、現役のA選手(打3、守3、走3、気3)という12点の選手がいるとします。一方、引退したB選手(打5、守2、走2、気3)という12点の選手がいた。kaikokaikoさんが80点がどうのという話をなさっていたので、私はトータルの点数の話をしていると思っていたんですね。だから、「いや、A選手への評価が甘くなったなら、B選手の評価もついでに甘くなって、15点くらいになるから良いんじゃないの? 実質変化してないでしょ」とか、「今と昔は環境違うから、B選手は今なら10点だなー」となったら別に甘く無いじゃないか、とか考えていました。で、kaikokaikoさんもそういう話を多少はされてるんですが、それだけじゃない。プラスして、「オールスター(80点越え)に出すのはAよりBが相応しい」という話をしている。点数だけではなくて認定の話をしているのだと思います。80点というラインへのこだわりが意味を持ってくるわけですね。

つまり、「80点というのはオールスター枠で、そこに入る資格があるかないか」というのがkaikokaikoさんの議論の中心であって、採点がどうこうみたいな話は実質余り関係ない。「甘い」というのはオールスター選出基準が甘くなったということ。そしてその基準というのは飛び抜けた要素の有無ということなのでしょう。スターと呼ばれてる選手のスター性がさがった、みたいな話でですね。

突出していなくても80点というボーダーを超えてしまうような――あるいは、80点というボーダーが意味を失い、過去の作品の価値が相対的に下がってしまうような、そういう「採点基準の変化」。これこそが問題意識だった。うん、そう考えるとだいぶスッキリした感じがします。

最初この部分がよくわからなかったのですが、賛同する多くの方にはきちんと伝わっているようです。たとえばコメント欄を見てみると……。k-qさん曰く「クセがない無難な作り」。mezamashiさんなら「小粒感」。SANEATUさんなら「飛び抜けた部分がない」。feeさんは「優等生的で、大きな欠点もない」……なるほど、突出した部分の有無について皆さん話をしてらっしゃいますね。私がアホだっただけか! ただ、純粋に採点論と考えている方もおられるようですから、言葉の意味のズレは他の方との議論で少々混乱の原因にもなっている感。

とりあえず以上が正しいなら、kaikokaikoさんのご関心は中央値の平均とは特に関係無いので、私の「疑問1」は無意味な疑問ということで良さそうですね。

[3] どうして『はつゆき』はダメなのだろう?
さて、それならポイントは絞られました。kaikokaikoさんのご意見では、『はつゆき』はキャラがテンプレで、「尖った」ところが少ない、ということになる。しかし、では具体的にどこでそう感じたのでしょうか。これが読めればkaikokaikoさんのご感想を一通り読み切ったと言って良さそう。

しかし、うーん。これ書いてあるのかなあ? 「尖った」ところが無いことを証明するのは悪魔の証明みたいなものですから、訊ね方としては「じゃあどうすれば尖っていたことになるの?」と訊くのが妥当でしょう。キャラ。キャラなのか。キャラのどこなんでしょう……。解明の鍵を握るのはおそらく、kaikokaikoさんが挙げておられる具体例です。

kaikokaikoさんは中央値85前後の作品を全部挙げているわけではなく、割と恣意的にピックアップしておられます。ご自分がプレイされたものをチョイスされたのかもしれません。ただ、それらに共通する「勢いというか魂」が具体的に何なのか見えればOKのはず。『鬼畜王ランス』に100点をつけておられるので、『大悪司』や『大番長』はシステムで評価しておられるのでしょうか。いやでも、もしかするとキャラかもしれない。先ほども言いましたが、佳作(75点クラス)の代表に挙がっている『こみパ』は、当時としてはアイディアもシステムも非常に斬新でしたが、これはなぜ「飛び抜け」ていないことになってますからね。……と考えていくと、どうもやっぱり私には分かりません。チョイスしておられる以上kaikokaikoさんご自身の中では繋がっているのだとは思いますが、その繋がりが見えるかと言われると、否。

そして、その「繋がりが見えない」ことは、やっぱりあんまり良くないように思えます。たとえばですが、こんなことが書いてあったと想像してみてください。
イタリアは世界の2004年度観光名所ランキングでトップ10に入っているけれど、他のトップ10の国、フランス、スペイン、アメリカ、中国、イギリス、ドイツなどに比べて良いとは思えない。メキシコの風景はどこにでもありがちだ。メキシコには突出した「勢い」が無い。観光客の評価が甘くなったのではないか。
構造としては全く同じですよね。「勢い」のような語も、あえてそのまま使ってみました。で、私はこれじゃあわからんだろと思う。風景が問題なのは良いけど、じゃあ具体的にどこを回ってきたのか。他の風景との違いはどこなのか。そもそも「勢い」って何なのか。実際にメキシコの風景を見てその通りだという印象を持てば良いのだとしても、その印象が論者の言っていることと一緒なのかを気にする必要は無いのでしょうか。

「メキシコ」の部分に、自分の名前を入れて想像してみてください。私なら、言いがかりをつけられたと感じる。この言い方では、メキシコ観光協会が気の毒です。

kaikokaikoさんの感想に対する周囲の否定的な反応として、「『はつゆき』と関係ないことを書いてる(批評空間批判、採点基準批判でしかない)」。だから、そもそも感想として成立していない、というのがあります。もしそうだとすれば、それは作品に対してとても失礼なことでしょう。「はつゆき」ファンは怒るべきだ、くらい言っても良い。だって、理由があるんだかないんだかわからないのに「キミはちょっと良作じゃないよね」「ありがちだよね」とレッテル貼られているわけですから、これは私が作り手やファンならキレます。いやまあ、逆に特に理由もないからスルーでいいか、となるかもしれませんが、私なら具体的に指摘があってケチョンケチョンに貶されたほうが気持ちは楽かなあ。

他にもたとえば、『はつゆき』は飛び抜けたところがある、と考えている人が反論できないことは問題でしょう。『はつゆき』に80点以上を付けている人がいて、その採点は「甘い」という前提ではじめられたkaikokaikoさんのご感想は、意図しているにせよしていないにせよ、そのような人たちに対する論争的なところがあります。もしかすると80点以上つけている人たちは、『はつゆき』に突出したところを読み取っているのかもしれない。実際それがわかる感想を書いているかたもおられるでしょう。それに対して「佳作」どまりだと言うのなら、その根拠をきちんと提示しないと、反論も議論もできないただの言いっぱなし無敵論法で終わってしまうのではないでしょうか。

なお誤解の無いようにことわっておくと私は、判断した根拠が無いと言っているのではありません。そのことは次に述べますが、たぶんあるのだろうけど、伝わる書き方がされていないから「わからない」と言っているつもりです。ここは重要なのできちんと説明しておきます。

この感想は『はつゆきさくら』の感想として妥当なのか
実は、kaikokaikoさんに肯定的な人の中にも、このご感想は作品と無関係な批評空間さんの採点論・点数論として読むべきだと言う方はおられます。そっちはそっちで解らなくもないのですが、本当にそれで良いのでしょうか? 万一kaikokaikoさんがそれで良いとおっしゃっても、「この感想は『はつゆき』と関係ない」と簡単に言ってしまうのは、感想の読み手としては拙い気もします。

kaikokaikoさんは感想の最初にこう書いておられました。「この作品をプレイした時に最初に思ったのは「普通」の一言」だった、と。そして、長年ROMをしてきたけれど「思うところがありまして、初めて書き込みを」したわけです。ということは少なくとも『はつゆき』に、そう決意させるだけのきっかけがあった。単に量的な(『はつゆき』がたまたま我慢の飽和限界だった)ことかもしれません。しかし『はつゆき』が、kaikokaikoさんが考えておられる「佳作」の典型であることは間違いないでしょう。

その意味で、この感想は『はつゆき』の感想として必然性があるはずです。この作品を例に取ればきちんと伝わるはずだからこそ、選ばれたはずです。ですから、kaikokaikoさんの考える「佳作」が何で、「良作」が何であるかをきちんと考えた上で『はつゆき』が選ばれた理由を考えるのがkaikokaikoさんのご感想に対する誠実な賛同であり、そこをスルーして「俺も同じことが言いたかった!」と言うと、下手をすれば我田引水というか、今度はkaikokaikoさんのご感想・ご意見とは関係なく自分の主張をしているだけになるのではないでしょうか。

たとえばコメントを書いておられる方々が、kaikokaikoさんの言っておられる「勢い」とはどんなもので、どこを見てなぜそう思ったのかを考えることなしに、みんな自分の好き勝手言っているのだとしたら、それは先ほどの「メキシコ」の例と同じような気の毒さを感じます。否定的だったら悪くて肯定的ならまあ良いか、ということは多少あるにしても。

言い方を変えるとこうです。「kaikokaikoさんが『はつゆき』と直接関係ない話をしているのはまずい」というのはそのまま、「kaikokaikoさんのご感想と直接関係ない話(批評空間の採点論)をしているのはまずい」という意見として返ってくるのではないか、と。もちろんこれは、kaikokaikoさんが『はつゆき』を選択して今回のことを述べた積極的な理由がある、という前提に立っていますが、それが無いとなると、そもそも「作品の感想なのだからそもそも議論すべきことじゃない」、「コメントは余所でやるべき」で感想全否定、はいおしまい。場違いな感想に場違いな反応をしているだけ、となって余計自分の首を絞める感じになりかねないと思います。

結局私は何が言いたいのか
kaikokaikoさんの感想に意味を見出さないというのなら、「『はつゆき』の感想ではない」とか、「この感想は抽象的一般論であって何も内容が無い」と言ってしまうことも可能です。ただ、私自身は上述したように、「手掛かり」は感想の中に書かれているとは思う。しかし、同時にそれが十分ではない、とも思います。だから、「俺の思った通りのことが書いてある!」という意見に対しても、「ホント……?」と思います。要するに私は、kaikokaikoさんのご感想に対しては「よく分からない」ときちんと発言することが、一番ご感想に対して誠実な態度ではないかと思ったのです。

はじめにも述べましたが、別に批評空間さんで投票するなとか、コメントつけるなとか、そういうことを言いたいわけではありません。批評空間さんの使い方等について議論をするほど私はきちんと規約等について理解しているわけではないので語る資格も無いし、個人的な問題意識は全くそこにはない。私の意識が言説のほうにあるということは、本ブログをお読み頂いている方ならご理解いただけると信じます。

私が言いたかったのはたぶん、次のようなことです。誰かの発言をダシというか材料にして自分の言いたいことを言うという、それ自体は普通のこと。でも、それはダシにする作品なり感想なりをまずきちんと読み込み、解釈した後での話になるのではないかな、と。

失礼を承知で申し上げれば、kaikokaikoさんのご感想を含め、今回の件で盛り上がっている内容をじっと見ると、対象をきちんと把握しようという過程をすっとばしている印象を受けました。いや、実は皆さんきちんとコンセンサスが取れていてそれを私が見られていないだけ。私こそが誤読している、と言われればそうかもしれません。ただ、根拠はここまでで示してきた通りです。

私の見ている限り、kaikokaikoさんのご感想の内容は相当な部分の説明がカットされていると思う。でも、kaikokaikoさんに「この言葉の意味はどういうことですか?」と訊ねている人も、「ここはkaikokaikoさんのおっしゃる意味とは違うかもしれないが」と留保を置いている人もいない。割とみんな速攻で、自分の問題に引きつけている。kaikokaikoさんの言う「尖った部分」がどんなものなのか、皆さん具体的にイメージできているのかなあ。それとも、私がどんくさいだけなのでしょうか。真面目な話、少なからずその可能性はあると思います。同じような問題意識を共有していたり、同じコミュニティにいるとツー・カーで意思疎通ができるということはありますから。ただそれなら、もう少しコメントの内容が噛み合っても良いと思うんですよね。

もちろん多くの人が自由に発言した理由は、kaikokaikoさんが曖昧で、「どうとでも取れる」ようなことを――偶然か意図的にかは判りませんが――書かれたことに原因があると思います。しかし、それならまずその部分を確認するところから入っても良い。何故こんなことを言うかというと、私が批評空間さんに『無限煉姦』の感想を投稿し、工作員扱いされたときのことを思い出したからです。

意見・感想に対する肯定的な評価と否定的な評価というのは、一見全く逆に見えるかも知れませんが、私は質的な構成において今回の件と似たようなところを感じてしまいました。つまり、私を工作員認定した方というのは恐らくですが、「90点つけた」「曖昧なことを言っている」という結論を自分の自由に解釈して、私の感想とは直接関係のない自分の意見を表明したかったのだろう、と。書いてある内容を精査せずに自分に引きつけて好きなことを言って良いというのは、一歩間違えばそういう方向(言いがかりとか)にも行きうることだと私は思います。褒めるか貶すかというのは結果論であって、内部の構造は変わっていない

あるいはそれすらも、感想を書く者の自由だ、というラディカルな自由論はありえます。それなら納得はしないけど理解はできる。ただ、私は対話というのはお互いにとって意味があるからやるものだと思っています。ラディカルな自由論は最後には対話にならず、独り言を延々言い続けるような空しい行為になるのではないでしょうか。それは、私にはちょっとしんどいかな。

とはいえよくよく考えてみると、こうして直接kaikokaikoさんご本人に申し上げることもなくグダグダ言ってる私よりは、積極的に書き込んで対話をしにいった方のほうが立派だし誠実ですね。そして、私のここまでの解釈が壮大な言いがかりになっている可能性ももちろんある。うん、議論を自分の俎上に引っ張り込むって難しいです……。ただ曲がりなりには、非常にまわりくどい説明をしながら、どうしてこのような解釈になったかという説明はきちんとしたつもりです。おかしいところや異論反論があれば、おっしゃって頂ければ議論いたします。

では、長くなりましたがこの辺で。また明日お会いしましょう。

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コメント

昔は良かったと誰もいう

初めまして。いつも楽しく読ませていただいています。
今回の件は特に興味深かったので、私なりの考えを書きます。
まず批評空間はかなりラディカルな自由論で運営されてます。
そのために今回のカイコさん達のような本人の曖昧な感覚の評価に異論をとなえにくいのです。
無論、突っ込めなくはないのですが、その場合は「本人の考え方がおかしくない」みたいな話になり、手間がかかる上、改心するかもわかりません。
だからよほどの入れ込みがない限りは面倒なのでスルーするのが無難です。
そもそも「尖った作品」としてあげている「こんにゃく」にしろ私はたいしたことのない作品だと思っていますし、そうした評価をしている人たちが何人もいます。
なので、あの感想の正しさを成立させるなら、「こんにゃくはたいしたことのない作品」と評価している人間を論破するレスくらいはできないと話になりません。
当然、これ一作でなく多数あげていますから、その全部に「突出している」ことを証明する必要があります。
前提が正しいか否かをすっ飛ばしていますから、かの人の感想というのは「自分の感覚評価を書いている」文です。
理屈をすっ飛ばして、自分の感覚を絶対視している人と話して理解しあえるかが疑問です。泥沼になるので。
ですから、私は本人に言わないで自分のテリトリーで好きにいうのも構わないと思いますよ。理解しあえない人と理解しようとするのは無駄ですから。

羨羨さん江

はじめまして!

「好きにいうのも構わない」と言ってくださっているのは、最後ウダウダ言っている私への励ましでしょうか。ありがとうございます。

羨羨さんご指摘の内容については、私も似た考えの部分が多々ございます。たとえば、kaikokaiko氏のご感想が「「自分の感覚評価を書いている」文である」こと等。ただ、うまく説明できていなかったり、齟齬が生じている部分があるように思えたので、そこを話すことでお返事とさせて頂きます。

私の記事自体は、『はつゆきさくら』の評価が70点台が良いか悪いかに言及しないように気を付けたつもりでした。そも、私自身は「はつゆき」をプレイしておりませんので何とも言えない。氏のご意見が正しいか否かは判断不可能です。では何を言いたかったかというと、感覚は人それぞれにしても、「なぜ」そう感じたのかという部分は書けるのではないか。そして、それは書いたほうが良いのではないか、ということでした。

理由はあります。まず、批評空間さんはいくら自由とはいえオフィシャルな場。本当に勝手なことを言いたいなら個人ブログなりでやれば良い。次に、根拠無しで感想だけというのは単なるレッテル貼りで作品に失礼。しかし一番大きいのは、文章において「なぜ」を飛ばすというのは、その文章を理解から遠ざけるからです。実際、氏の感想自体もまた「自由」に解釈され、噛み合わない賛意が集まった。私には一連の感想群で「対話」があるように見えませんでした。ちなみに、この「なぜ」というのは理屈や論理の意味合いではありません。「生理的に嫌いだ」というのは理屈になっていないけれど、「なぜ」は言表されていて、割と誤解無く伝わると思う。

氏に直接このことを申し上げないのは、作品とも氏のご感想の内容とも関係ない、氏の発言の方法論に関する分析だから。ならば氏に、「具体例として挙げている作品の共通性は何ですか?」と、氏の「突出」の意味を掘り下げる質問をすれば良いのですが、作品にも氏のご感想の正否にも関心が無い私がそれをやると、本当に氏のご感想をただの道具にしてしまうと危惧して思いとどまりました。

羨羨さんは「理解しあえるかが疑問」だからスルーで良いということをおっしゃっていますが、私は言説というのは理解のためにこそある(理解する気もさせる気もないなら、言葉なんて紡がなければ良い)と考えています。今回の記事は、その問題意識を書いてみた感じでした。

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