よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012/02/07(火) 16:49:09

ちょっと考えていたことがまとまりつつあるので、メモがてら、文章の読み書きについて思うことなどを書いていきます。誰かに読んでもらうつもりで書くとモチベーションにもなるし、内容もいろいろまとまってきますし。

ただ、別にアルファブロガーでもアルファツイッタラーでもなく、そもそも普段お前何やってるの的な私の話を読みたい人はいないでしょう。ダレないよう、何シリーズか小分けにするつもりです。あと、一番ありそうな飽きた時にさっさとやめられるように。エロゲーの話してるほうが気楽ですしね!

まあそんなわけで、「メモ」(1)です。さらりと読んで( ´,_ゝ`)プッと嘲笑って頂いて良いのですが、これどうなのとか、ここおかしいとか、こういう本あるぜ、とか、もしかご意見があれば教えて頂けるとうれしいです。

▼英語と情報の流れ
基本的に英語は、情報の流れを大切にします。たとえばこちらなどに詳しいでしょうか。これを、「文末焦点原則」、あるいは「旧情報から新情報の原則」などと呼びます。

中学・高校の英文法では第三文型と第四文型は同じだ、と習いますが、本当に同じなら二通りにわけて書く意味がありません。実際には、「何を問題にしているか」が違うのです。ちょっと、比較してみましょう。
I gave a pen to him.(3文型)
I gave him a pen.(4文型)

それぞれ、「私は彼にペンをあげた」ですが、「文末焦点原則」をあてはめると、3文型のほうは「彼に」が、4文型のほうは「ペンを」が重要だ、ということになるでしょう。それぞれの文章に対応する疑問文を考えてやると、よりハッキリします。
To whom did you give a pen?
What did you give him(to him)?

ご覧のように、聞きたい内容がかわっているわけです。だから、答え方もかわる。第三文型と第四文型は、違う内容を語っている、というわけです。

この考え方で、いくつかの「面倒な」文法事項が説明できます。たとえば、「文末にitはつけない」という、中学校で習ったよくわからないルール。具体的には「I gave it to him.」はOKでも、「I gave him it.」とは言わない、というやつ。私の頃はこれ、「英語は口述言語だから、文末のitは音が良くないので避ける」と説明されていました。当時は「ふーん、そんなものか」と思っていたし、あながち完全にウソでもない。けれど、実際には「it」で終わる文なんて腐るほどあるし、それが何故構わないのか、説明してはくれません。仕方なく、「四文型の文末にitは来ない」と覚えていたのですが、「文末焦点原則」に従えば、なぜ「it」が来ないか、はっきりとわかりますね。「it」は文の書き手と読み手の間で既に共通理解があることがらだからです。

「it」という既知の事柄について、改めて問う必要はありません。指示代名詞「it」を強調することはまったく無意味であり、したがって「it」は文末に置かない、というわけです。

同じ考えで、「There is 構文」の謎も解けます。There is 構文を用いるとき、「There is the pen.」のように「the」を用いてはならない、というルールがあります。これも、英文法ではロクに説明されないのですが、実は「文末焦点原則」が裏で糸を引いています。

ご存知のとおり、There is 構文というのは「一文型」です。There というのは実は意味のない語で、There is a pen. と言ったとき、主語は「a pen」、動詞は「is」となります。ここからおわかりかもしれませんが、実はThere is 構文というのは、A pen is.(ペンがある)という存在文を倒置したものなのです。

A pen is. を倒置すると、is a pen. になる。けれどこれでは文に見えない。仕方がないからThere という意味のない語を頭にひっつけて、文に見える体裁を整えた、というわけ。ではなぜ倒置をしたかというと、もうおわかりですね。「文末焦点原則」に従って、a pen を強調するためです。

A pen is.だと、「penが飛んでいるのでも折れているのでもなく、存在している」という「存在」が強調されます。これに対し、「There is a pen.」は、「何かがある。それはハンカチでも携帯でもなく、penだ」という具合に、何があるか分かっていないときに用いられる文なわけです。ところが「the pen」というのなら、話者と聞き手との間で、何があるか既に理解が成立していることになります(the だから)。知ってるなら、わざわざ聞かれることもないし、強調する必要もありませんね。ですから、There is 構文には原則、the が使えないのです。

▼パラグラフ・リーディング
こうした「文末焦点原則」は、1文のみならず、1パラグラフ、また1つの文章全体においても、基本的には適用されます。この英文の性質を利用したのが、「パラグラフ・リーディング」という考え方です。

パラリーは比較的メジャーな読解方法として各所でとりあげられていますし、本もたくさんでていますので専門的な技術としてマスターしたい方はそちらをご覧に(入門書としては、受験参考書などが最適だと思います。たとえば「超パラグラフリーディング」や「英語長文読解の王道 パラグラフリーディングのストラテジー」など)なってください。

もの凄くざっくり説明すると、「論理的な英語の文章に対して、文章全体の第一パラグラフと最終パラグラフの全文を読み、他のパラグラフに関しては第一文と最終文だけ読むことで文章全体の意味を大ざっぱに把握する」というテクニックです(いまさら言うまでもないかも知れませんが、「文」と「文章」は違うタームとして使い分けています)。速読技術として有名になったのは、受験産業、特に東大入試の「パラグラフ整序」と、それを改変する形で2000年のセンター試験以降出題されるようになったパラグラフ系の問題のお陰でしょうか。もちろんそれ以前から存在した技術ですが、今ほど一般化していなかったと思います。少なくとも私が受験生の時はほとんど聞かなかったですね。

さて、日本では「リーディング」の名の通り読解の技術として伝わっています。しかし英米圏ではこれが同時に書きのテクニックである、ということが重要です。どういうことかというと、今述べたような読み方をして、十分に内容が伝わるような文章でなければならない、ということです。つまり、私の記事みたいなのは完全に失格(笑)。パラグラフ・リーディングによって英語の論説文が読めると言うことは、そのように書かれているわけで、日本語の起承転結のようなスタイルとして確立しているということです。

ただ、どうもこの辺の意識が、日本のパラグラフ・リーディングには抜けている。書き手が文章全体を構築したということは、各パラグラフの間に有機的な連関があるはずです。少なくとも、「なぜ筆者がそれぞれのパラグラフを、このような順番で並べたか」ということを考えなければ、文章は完成しません。つまり、読み飛ばしたパラグラフの内容も、第一文と最終文から要約し、文章全体の中でどういう役割を果たしているか(例示なのか、展開なのか、反論の提示なのかetc)を確定し、文章構造を浮かび上がらせることこそ、パラグラフ・リーディングの真骨頂であるはずです。それなのに、受験のパラリーは本当に技術だけになってしまい、ひとつずつのセンテンス、パラグラフを読んで終わり。それぞれの連関について触れることがほとんどありません。これでは宝の持ち腐れというか読めるものも読めるはずがないと言いますか……。

ただ、ここから分かることがひとつ。私も受験産業で仕事をしていたから痛感するのですが、とにかく今の受験生の大半は、文章を「全体として」読むというのが苦手なんですね。ひとつひとつのパートをきちんと理解することができても、それが前の部分とどう絡まるのか、あるいは絡まっていないのか。明らかにそれと分かる部分は掴むことができても、少し隠れているとそれが分からなくなる。

これは論説の話ですが、小説などのほうが如実に「全体像の掴みそこね」はハッキリあらわれるでしょうか。登場人物が漏らした最初のほうの一言や、何気なく書かれている家族構成などが後半の帰結にどう絡んでくるのかということが、全然掴めない。それぞれの場面の、ひとつずつの言葉の意味などはきちんと把握できているのですが、大きな繋がりに目がいかず、狭い範囲でしか内容を理解しない。そういうパターンが非常に多いように思います。

少しパラリー本筋の話から外れましたが、ともあれそのような事情もあって、「全体として有機的なまとまりをもった文章」というのは、実はいまひとつ理解されなかったりします。今は特に、私立大学はおろか国公立大学ですら、理系にいく場合「国語」の受験が必要ない、ということが多い(最難関と言われる医学部ですら、二次試験で国語を課している大学ほとんどありません)。つまり日本で高等教育を受けている学生ですら、ろくすっぽ文章読解の訓練を受けていない、なんて笑えない状況でもあるわけです。

もちろん、かくいう私も十分にそれができているとは言い難い状況なのですが、積極的に文章を書きたい、読みたい、と思っている人というのは意外と少なく、多くの「一般読者」はパーツを精密に読めても、全体まではあまり気にしない。そういう意識というのは少し、持っておいても良いのかなと思います。

▼分かりやすい文章を書くために
ここでようやく「書く」時の話になるのですが、「一般読者」に対する場合、書き手の心得としてはたとえば以下のようなものが挙げられるかと思います。
(1) 前文や後文を参照しなくても意味が分かりやすい文を書く。
(2) テーマが簡単に分かるように書く。
(3) 最初か最後に、文章全体の論理の流れを可視化して示す。
(4) 指示内容が出てきたら、いちいち具体的に指摘する。

やっちゃいがちなのが、「これ」「それ」「あれ」のような指示語を連発して、「まあわかるだろ」的な感じでどんどん進めるパターン。だいたい誤解されます。指示語連発はそもそも、読み手の意識と関係なくやめた方が良いといわれますけれどね。

ともあれ、書くときは「読み手」をある程度想定したほうが良い、と言われますが、それが具体的にどういうことなのか、「文章全体の関連」という切り口から追い掛けてみました。ここで述べたのはあくまでひとつの見方で、もっと色々な切り方はあると思いますが、わかりやすさ、つたわりやすさを追求するなら、ちょっと意識してもいいのかな、と思います。

もっとも読む側としては、書き手のそういう親切に頼ってばかりもいられないわけで、面白い話、ためになる話を読もうと思ったらリテラシーを身につけていく必要がある。その時には、文章を関連性の中で見るという意識を持つ。パラリーなんかで練習してみるのも良いかもしれません。

そういう意識は無くても、英語論文などを読む際には割と役に立つスキルですから、これから大学、大学院へ進もうという人、ビジネスシーンで英語を良く読む人などは、身につけると便利だとは思います。

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