よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/01/05(土) 23:05:05

【データ】
名称: 俺のレビューが単なる悪口のわけない
OS: Windows 7/Vista/XP
機種: IBM-PC 
種類: フリーソフト
作者: Conscience (たけのこそふと)

▼まえがき
先日、ツイッターで話題になっていたので気になってプレイしたフリーゲームがあります。その名も、『俺のレビューが単なる悪口のわけない』。タイトルからしてタダモノデハナイ感じがぷんぷんしますが、プレイし終えまして、まあ何かちょっと書いておきたいなという気になったので今更ながら少し。

題材としてはレビュー全般ではなく、あくまで「フリーゲーム界隈の」レビューというところに問題を絞って述べるという形をとっています。したがいまして、普段フリーゲームをあまりプレイせず、感想も書かない私は門外漢も良いところではあるのですが、しかし、一レビュアーとして触れておきたい問題もあるかなと思った次第。


▼どんなゲームなの?
ゲーム自体は15分〜30分程度で終わる、簡単なノベルゲーム。グラフィックの類も凝ったものは一切なく、背景画像のうえに淡々と文字列が並んでいきます。

主人公は、フリーゲーム作者を友人にもつ素人ユーザー。最初は友人に求められて感想を言っていたのですが、やがてフリーゲーム全般を扱うレビューブログを開設し、最後は自らもフリーのノベルゲーム作家としてデビュー。その中で、レビュアーと作家の間のトラブルを経験し、作品とレビューとの関係について思いをはせる……という内容。

いわゆる「ステマ」問題であったり、スクリーンショットの著作権問題であったり、作り手にとってレビューが持つ意味であったりと、短い中でさまざまな話題が展開されます。少々詰め込み過ぎではないかとも思ったのですが、ストーリーがうまくまとまっていてわかりやすく、とっちらかった印象は受けません。また、プレイを終えて何か考えたり、言ってみたいと思わせる絶妙の力加減で作られており、この手の問題に一石を投じる作品としては実にうまいなぁとため息をつきたくなるできばえとなっています。

なお、以下多少のネタバレを含みますので、まっさらな気持ちでプレイしたい! という方は、ここでゲームを実際にプレイされてください。

なおx2、フリーソフトなのでVector等でダウンロードできます。リンクはこちら。(一言紹介文がまた凄い)


−−−−−(以下ネタバレ含む)−−−−−−

▼なんか凄いタイトルだけど大丈夫なの?
人によっては不快感を感じるかもしれません。

特に、フリーゲームに問題を絞っているとはいえ、ゲームのレビューをしている人は「おいおい……」と思うことはあるかも。かくいう私自身、レビュアーの描かれ方が余り実態に即していないかなという印象を受け、その辺は不満でした。たとえばこの作品では、レビュアーが作家に宛てた私信のようにレビューを書くということになっていますが、少ないとはいえ私の経験と知識の及ぶ範囲で言えば、そういうレビュアーさんは少ないような気がする。書き方としてはそうなっているのですが、文章を公開しているレビュアーの相手というのは作品であり、不特定多数の読者ではないかなあ。

ただ、そのあたりは余りつっこんでも仕方がないかなとも。というのは、本作はどうも『とあるノベルのレビューサイト』(かめそふと)という先行作品に反応する形で作られたものだからです。直接の論争相手というか仮想敵はそちらで、『とある〜』の土俵に乗っかってそれを揺さぶろうとしているので、クリエイター像もレビュアー像も、ある程度先行作品を念頭においたものとなっているわけです。

なので、この主人公くんがレビュアーの一般的造型として妥当かどうかという話は、しても仕方がないというところがございまして、肝心なのは作者とレビュアーとの関係がこの作品では問われているという、そこのところなのだろうと思われます。

▼どういうことを言ってるの?
本作には、狙ってか意図せずにかはわかりませんが、位相を異にするたくさんの要素が一緒くたにつめこまれています。最初にも書いた通り、著作権の問題であるとか、ステマの問題であるとか。ですが、一つ重要な主張というかテーマみたいなものは、たぶん取り出すことができる。それは、登場人物たちが語る以下のメッセージに集約されていると思われます。

※ネタバレを前提にするつもりは無かったのですが、踏み込んだ話の為にはどうしてもちょっと引用する必要があるので、作中に出てくる文章から紹介します。


「傲慢さを捨てきれない人間はフリゲレビューなんて向いてないし、やるべきでもない」

「作者がいないとフリーゲーム界は成り立たないが、レビュアーなどいなくてもフリーゲーム界は成り立つ」


フリーゲームとは何か、レビューとはそれに対してどうあるべきか……。そういう主張が作中でなされている、という感じでしょうか。ある意味ズルいっちゃズルいのは、「レビュー」にたいして作品で批判するというこのやり方。私がいまやっているような「作品への感想」は全て絡め取られるというか、「そういうのがイヤなんだよ。レビュアーは帰れ」とシャットアウトすることが可能になっているわけで、そうやられるとどうしようもないのですが、まあそう言われたら単純に「言論に対して責任をとる覚悟の無い作品だった」と割り切っておしまいにすれば良いだけでしょう。

▼レビュアーに喧嘩売ってるの?
喧嘩までは言わないにしろ、センセーショナルなアオリ文句も相俟って、一種レビュアーへの挑戦状である、と捉えた人が多かったようです。実際のところはわかりません。

こんなハッキリしたことを言っているのにどうして躊躇うかというと、これは後で申し上げるつもりですが、作中の主人公たちの主張というのが必ずしも作品の主張と重なるとは限らないからです(作品の構造が、登場人物たちの主張を相対化したり否定しているということはじゅうぶんに考えられる)。ただ、どうしても推測・憶測の領域を免れませんので、ひとまず登場人物たちがどういうことを言っているのかを、追いかけてみようかなと思います。

彼らの主張を、単なるその場の感情論だというなら話は終わりです。これ以上考える意味はありません。けれどもきちんとした議論であると考えるなら、それを支える論理を取り出して、またその論理を一度最後まで突き詰めてやる必要があるでしょう。

「フリゲってのは趣味の領域なんだから、作者の心情お構いなしという傲慢さを温存したまま名指しで悪口書くのは違う」というのが、彼らの主張の根本です。それは、商業作品とは決定的に異なるのだ、と。趣味でやっている人間を無遠慮に傷つけるのは最低の行いではないか……。だいたい、そんな感じでしょうか。別にレビューの全てを否定しているわけではなく、「批判するならするで、それなりの書き方がある」のだ。「ファンや作者さんの気持ちに配慮した上でレビューすればよかった」のだ……というのが、辿り着く結論です。

しかし、実はここには大きな問題があると私には思われます。

主人公たちは、作者が傷つくようなレビューはNGである、悪意をにじませてはならぬ、と繰り返すわけですが、一体それは誰が、どのように判断できるのか?

作中では巧みに具体例を描いて、悪意のあるレビューかどうかは見ればわかる、ということにされています。しかし、それは本当でしょうか? 私には逆に、そんなもんわかるわけがないと思う。いやまあ、明らかにそうだろってのはあるかもしれません。しかし、悪意にしか見えなくても、底の方には深い愛情があるかもしれないし、悪意は無いのに悪意だと見なされるかもしれない。そんなことは日常茶飯事でしょう。問題となってくるのは、ボーダーラインをどう引くか、ということのはずです。

たとえば、ベタ褒めされた作者が「わざとらしい。悪意だ」というかも知れないし、大いに褒めて一点だけちょっとしたミスを指摘したら、「そんなこと言わなくても良いのに……」と大泣きするかも知れません。結局のところ、判断基準は作者その人に委ねられるしかない。そして悪意かそうでないかを客観的に判断する基準が存在しないということは、あらゆる発言というのは原理的に(論理を突き詰めると)、作者にとっての悪意となり得るということになります。

つまり、この主人公たちのロジックの行き着く先は、フリゲーについて委細の感想を言うな――というのが言い過ぎであるなら、作者が許可した感想だけは残って良いという、そういう世界になるということです。

▼それって普通じゃない? 何が問題なの?
まず一つの問題は、これは形を変えた検閲・表現規制の肯定・礼賛である、ということです。表現規制問題の根本的なポイントは、「作り手以外の人間がある表現に対して勝手に基準を設けて制限する」ということです。わかりやすく言えば、「私はこのエロ本は余りにも卑猥すぎて健全ではないと思うので規制します」という理屈を通して良いのか、という話です。たとい作者の心情のためであっても、レビュアーの書いたもの(ある意味ではレビュアーの創作物です)を、別の人間が勝手に線を引いて規制するということを許してしまうと、その理屈で表現規制も受け容れなくてはならない、ということになります。

レビュアーは、「酷い作品だ」と言っても、決して作者が作品を世に送り出すことを規制することはできません。もちろん、「規制すべきだ」という発言をすること自体は問題ないのですが(言論の自由というのはそういうものです)、実際にその発言に実効性を持たせてしまうとなると、それはまた別の話になる、ということです。

もう一つは、フリーゲーム業界に「作者>ユーザー」という身分制度を持ち込む考え方である、ということです。作者は、ユーザーを傷つけるような作品であっても「出すな」とは言われないわけです。しかし、ユーザーは言われてしまう。いや、作者もユーザーを傷つけるような作品を出してはならぬ……ということかもしれませんが、だとすれば上に述べたこととあわせて、作者もまた一切の作品を発表することができなくなってしまいます。

まあそれでもフリーゲームというのは作者の方がおられなければ始まらない世界だというのは事実なので、カースト制度を導入するのもやむなし、という立場もありえるのでしょう。私にはそれが良いことなのか悪いことなのかは判断しかねますが、好き嫌いを言えば嫌な世界だな、とは思います。それこそ、作り手の傲慢を許すシステムではないか、と。

むろんそういうカーストを敷いて、いわば「イエスマン」ばかりを並べた世界なり業界なりが、果たしてどの程度健全なものなのかという疑問も起こりますが、それはまた別の問題ですのでここでは措くことにいたしましょう。

私が言いたかったのは、作中主人公の友人が黄門様の印籠よろしく繰り返す、《フリゲーは趣味であって作者の満足のためにあるんだから作者が絶対正しいのだ》という主旨の発想こそが、大きな災厄の原因になりかねないということです。

▼じゃあこの作品には反対なの?
そこが難しいところなのですが、全面的に反対というわけでもありません。

少なくとも、「この作品で描かれている主人公たちの導いた結論」には反対です。が、作品自体はなんとなく、この主人公立ちの結論を突き放す要素を含んでいるようにも見えていまして……。

たとえばですが、作中主人公の友人が、主人公を説得するためにある行為をするのですが、それを読んで誰もが「お前がゆーな!」的な感想を抱くと思うんですね。もっと言えばこの作品自体が、最初に申し上げたとおり『とある〜』に対する批評的な作品になっているし、レビュアー批判でもあるわけです。お前だって批評(レビュー)をしてるじゃん、しかも悪口じゃねぇか、と当然なるでしょう。

このあたりは民○党も顔負けの、見事なブーメランというか、作品そのものの中に、主人公たちが思っているほど単純ではないぞ、ということを示すような構造はある。実際、友人は主人公が抱えている「事情」を汲み取ることはできなかったし、主人公もまた同じであるわけです。そんな風に、どこか彼らの発言を額面通りに受け取ることができない、「ひっかかる」要素が散りばめられている感じがするんですよ。

「著作権」絡みのあんまり丁寧ではない説明なんかを見ると、もしかすると偶然なのかもしれないですが。

あと、主張を支えるロジックはともかく、言わんとすること自体はそんなに悪いことではないというか。むしろこの主人公たちは良いこと言ってますよね。要は「フリゲー業界は善意で成り立っているんだから、なるべく配慮しましょうよ」と。それだけの話であるなら何の問題も無いと思うのです。それを、そこでブレーキのかわりにアクセルを踏み抜いて「作家絶対主義」を掲げたり、誰かの言説を封殺するような過激な方向に一足飛びに向かっているのが首を傾げるというだけで。

そもそもこの作品問題になった行動は、レビューを「悪意をもって」行ったという、その「悪意」の部分に依存しています。あるいはまた、レビュアーが自分の発言に責任をとらないような発言(たとえば匿名BBS等での悪口)を繰り返していた、というところに。そういう行為はなるほどレビュアーとしては品性下劣で救いがたい屑であるのでしょう。しかし、それをもって全てのレビュアーを早急にこの世から一掃すべきである、とはやはりならないと思うんですよね。同じことをクリエイターだってできるわけですし(誰かへの悪意をもった作品をつくったりできる)。つまり、「レビュー」という行為に根本的に存在する問題であるというよりは、ある「発信」をする際の心のもちようみたいなものが、本当は一番丁寧に描かれているのだと思います。そしてその部分には共感できることが多いわけです。

▼まとめにならないまとめ
ですからもう少し深読みをすれば、トータルとしてこの作品が言えていることというのは、「作者とレビュアーとは最後のところで無関係だ」ということなのかな、とも思ったりします。あるいは、「レビューと作品とは無関係」でも良いのですが。

どういうことかと申しますと、結局最後の最後のところでは、作者もレビュアーも相手が何を思っていたかなんてわからないわけだから、せめて己の中で、恥じることなく胸を張れるだけの誠意を尽くせ、と。そういうメッセージを発した作品であるというのならば、優等生的で面白味には欠けますが、まあアリかなと思います。主人公の主張がそのまま作品の言わんとすることであるというスタンスにたてば、やっぱりどうも私には承伏できかねる。それは、私がフリーゲームのレビュアーだろうがそうでなかろうが関係なく、言説を発する一人の人間として抵抗しなければならないところだと思うわけです。大げさな話ではなくて。

ちなみに、フリーゲーム界隈の方はどんな反応をされているのかな……と思って幾つかのサイトさんを拝見したのですが、下にちょっとリンクを貼っておきます。

久住女中本舗 さま

NaGISA net さま

呼び声のするトコロ さま

レビュアー、クリエイターの方とさまざま。ただだいたい皆さん、この作品の主人公たちに簡単には乗れない、という立場なのかな。それぞれの方で視点は少しずつ違いますが、やはり内部にいる方々らしく、「フリーゲーム業界は作家とレビュアーがお互いに協力しあって作っているのだ」という主張が目立ちました。議論のラインとしては、「レビュー」というユーザーからの反応もまた、フリーゲーム業界に欠かせないものなのかどうか、という視点ですね。

レビューサイトさんの反応ですから「レビューも大事だよ」という流れにはなるのは当然とはいえ、皆さんそれぞれに見方があって興味深かったです。むしろこの手の作品の内容をきちんと引き受けた上で発言をなさろうとするあたり、(私程度とは経験値の違う皆さんであるということはあるにしても)懐が深いなぁと思いました。

というわけで今回は、異色のフリーゲーム『俺のレビューが単なる悪口のわけない』への感想でした。ネタにマジレスとか、こういうのに手を出すのはやっちゃいけないといわれるのは覚悟のうえで始めました。ただ終わってみると、この作品はそこまでアンタッチャブルな内容ではなかったかな、というのが最終的な私の感想です。

レビューと作品との関係ということについて考えるにはもう少し色々な要素を考える必要がありそうですが、とっかかりとして十分良くできているし、そういう話を抜きに一つの「作品とレビューに関するエピソード」のように読む分にはとても面白い作品でした。

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