よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/01/21(月) 22:38:55

関連記事:「センター現代文・実践編」(2013年1月23日)

2013年のセンター試験が終了したようで、受験生のみなさまはお疲れ様でした。

河合塾さんところに問題があったのでリンクをはりはり。(河合塾2013年度大学入試センター試験速報

今回は、以下の三つのことに関する考察です。

1.センターの現代文で求められている「国語力」は具体的にどのようなものか
2.(上記1との関連で)大学入試センターが考える高等教育としての「国語」の意義はなにか
3.本年度の問題は本当に「悪問」だったのか

で、センターの話題なのに申し訳ありませんが、当ブログは18歳未満閲覧を非推奨としておりますので、現役受験生のかたは回れ右してお帰り頂けるとありがたく存じます。あ、この記事だけ読むにとどめていただけるなら構いませんけれども……。

▼センター国語にマモノ登場!?
さて、本年度もいろいろな「マモノ」が登場したセンター入試ですが、初日の話題をさらったのは「国語機Ν供廖F辰妨渋緤犬世辰燭茲Δ任后

まず、評論で出たのが小林秀雄の『鐔』。

小林秀雄といえば、かつて「受験生キラー」として高校・大学入試を荒らしまわった大型のS級モンスターですが、最近はあまりの強さに学生が理解できないどころか教師側で教えられる人も減ってきたという事情があり、パッチがあたった結果ほとんどの狩場から姿を消し、一部MAPでのみほそぼそと生息するレアMOBになってしまったお方。まさかのセンターパッチでメジャー復帰です。叩かれても評論問題集に小林秀雄を載せ続けていたちくまさんあたりは鼻高々じゃないでしょうか。2011年の鷲田清一もきちんと載せてたし。ちくまの評論問題集、受験生にはお勧めかもしれません。

続いて小説の方は、牧野信一『地球儀』の全文。

おいおい、牧野信一かよ……というツッコミが入りそうですが、まあヤバいですよね。「シイゼエボオイ・エンドゼエガアル」「フエーヤー? フエーヤー……チョッ!」という本文で、「ちょwwww」となった受験生は多かったのではないでしょうか。こんな問題出たら、私もビビる。

しかし、今回の国語の問題が「悪問」などと言われているのを聞くと、私はちょっといたたまれない気持ちになります。果たしてそうだろうか、と。今年のセンターの問題は文字数が増えこそすれ、そんなに例年とかわらない難度だし、むしろ国語としてはとても誠実に作ってあるのではないだろうか。そんな気さえしています。

丁寧に作られた設問で、本年度の問題も、きちんと論理的に解答できる根拠が散りばめられている。「さすがセンター」という感じでした。

▼国語の問題は決して「酷語」ではない
センターの国語の問題というのは、よく言われるように恣意的だとか、解釈がいくらでもあるとか、答えがひとつにきまらないとか、そんなことは全然なくて、むしろ非常にロジカルにつくられています。そして、設問を通して日本の高等学校の国語教育に、何を目指して欲しいかというメッセージを明確に投げ続けている。私は、それなりに大学入試の問題を見て来ましたが、センター国語の問題ほど丁寧で、練りこまれていて、スタンスのはっきりした問題にはほとんどお目にかかったことがありません。そういう意味の「良問」。理系科目については不勉強でわかりかねますが、文系、特に国語科の問題としては受験界でも屈指の良問を例年用意していると思っています。

ちょっと誤解を招くかもしれませんが、あえて極端な言い方をいたしますと、センターの明確なメッセージは「本文を読め」ではなくて「選択肢を読め」である。ここがポイントでしょう。

実際、設問は常に「最も適当なものを選べ」です。これは防衛医大の問題なんかだと、「適当なものを選べ」と「正しいものを選べ」で明確に区別されているので、きちんとした意図あっての表記であると言って良いと思われます。

選択肢を手がかりにしようとか、そういう甘っちょろい話ではありません。「あるテクスト(本文)がある。それに対して、 銑イ泙如五人の人間が別の解釈をしてきた。あなたがこの中から一人、丸をつけていいとするならだれにつけますか?」という設問なわけで、「正解」を積極的に選べ、なんてひとことも言ってないんですね。それなのに、「解釈は多様で一つに決まるわけがない」とか批判している人が時々いますけど、それはもうなんというか、哀しいくらいセンターの手のひらで踊らされてるわけです。大学入試センターは、(五択問題なら)「四人のお間抜けさんを見つけてください。残った奴が正解です」と言っているだけ。もちろん、最初から「誤っているものを選べ」みたいな問題もありますが、まあ基本路線ということで細かい部分はカットさせてください。

さて、上記の認識は非常に重要です。

なぜかと申しますと、これはテクストに対して提示された解釈の妥当性を判断しろという、論理性確認の問題としての位置づけが明確な設問ということだからです。「解釈文の妥当性の判断」。これこそが、まず大学入試センターが(ひいては文科省が)受験生に求めている能力なわけです。

抽象的な話をしていてもしょうがないので、具体的に見てみましょう。

▼具体例(1) 2002年本試験 評論
浜田寿美男『「私」とは何か』より

【本文】
(前略)
 では、こんな場面はどうだろうか。閉めきった障子の内で火鉢にあたりながら餅を焼いている私の耳に、外から子どものはずんだ声が飛び込んでくる。

 あっ、雪!

 ここで私は、自分の身体でその雪を直接に感覚してはいない。にもかかわらず、子供の一声に、私の中で雪の舞い落ちる世界が立ち上がる。自分が身体でじかに体験しているのは部屋の中の光景、その上に不意に飛び込んできた言葉が、別のもう一つの世界を立ち上げるのである。もちろんそうは言っても、障子一枚を挟んで、私の身体は、子供の生きる世界にほとんど臨場しているのであって、これをまだ言葉の宇宙とまでは言えまい。

 しかし、次のような場面を書物で読んだとすればどうだろうか。

  庭でコマ回しに興じていた子供が、不意に「あっ、雪!」と叫んで空を見上げた。大きなぼたん雪が、鉛色の空からゆらりゆらりと舞い落ちてくる。

 ここでも私達は、しっかりその雪の落ちてくる情景を思い浮かべる。たとえこれを読んでいるのが真夏で、ステテコ一枚で、団扇をバタバタやっていたとしても、その雪の場面を理解するのに不都合はない。ここまできた時、言葉は現実の場面を離れて、それだけで一つの世界を立ち上げる、そういう力をもつと言える。そこに(傍線B▼)言葉の世界と身体の生きる世界の二重化をはっきり見ることができる。


【設問】
問3 傍線部B「ことばの世界と身体の生きる世界の二重化」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の 銑イ里Δ舛ら一つ選べ。

他者の身体が体験している現実の情景が、他者の発した生き生きとしたことばを通じて、自己の身体によって無意識のうちに受け止められるようになること。

ことばがことばだけで独立した世界を生成し、私たちの身体が実際に生きている現在とはまた別に、私たちがその世界をありありと感じ取ることができること。

息子の発する「あっ、雪!」ということばが、それを聞く私の身体に降り立つことで、ことばがことばだけで立ち上げた世界が、身体との対話性を持ち始めること。

ことばによって喚び起こされる想像の世界と、私たちの身体が現実に向かい合っている現在の場面とが、一致して重なり合うように感じられること。

息子の発する「あっ、雪!」という声に「雪」を実感することで、その場に居合わせながら気づいていなかった世界が、生き生きと立ち上がってくること。


たとえばこういう設問に対して、本文をきちんと読み取って自分なりの解答を作ってから挑む……というのは、立派な心がけです。しかし、不要です。解釈というのはある程度自由なもので本文自体を、多角的に捉えることができるし、それに、その表現方法もまた一つでなくてはならぬ、ということはありません。人により、表現のしかたはさまざまありえる。

だから、センターは本文の意味を直接聞いたりはしない。センターの問うている内容は、「説明として最も適当な」選択肢です。つまり必要な行為はまず、選択肢の比較です。

 銑イ鮓比べてやると、傍線解釈だから当然ですが、「ことばの世界」の説明「身体の生きる世界」の説明「二重化」の説明、という3つのパートにわかれていることに気づくはずです。では、それぞれが妥当なのか確認してやればいい。それだけの話です。

まず、とイ蕨棲阿任后なぜかというと、とイ呂箸發法◆嵌する」ことば、つまりは「声」が「ことばの世界」だと言っているからです。本文では、「次のような場面を書物で読んだとすれば」と、前提条件は書物に移動しています。つまりとイ療えを書いた人は、本文の前提を読み落としているわけです。

同様に,癲◆崑昭圓糧した生き生きとしたことばを通じて」があやしい。しかしこれは、文字で書かれたことばである可能性はわずかに残ります(あまりにわずかなのでもう切っても良いと思いますが)。どうしても正確を期したければ、「無意識のうちに受け止められる」という部分を根拠にしてください。「二重化」の性質について表現した選択肢のこの箇所は、本文の「しっかりその雪の落ちてくる情景を思い浮かべる」や、「はっきり見る」という意識的・能動的なニュアンスの真逆です。よって、,發気茲Δ覆蕁

残るは△い任垢、これは簡単。い蓮岼戝廚靴峠鼎覆蟾腓Δ茲Α廚判颪い討い泙垢、これが曲者。「二重化」というのは別々のものが重なる状態ですし、実際本文でもそのように使われていますから、「一致」したらまずいですよね。身体とは「別の」世界が立ち上がるのですから、説明として不適当。

▼小説だって曖昧ではない
と、ことほど左様に、選択肢同士の比較をすることによって選択肢同士の間で「何が問題になっているか」を明らかにした上で本文と照らし合わせると、大して意味がわかっていなくても形式的に答えにたどりつけるようになっているわけです。

設問から逆算していけば、おそらくはこれが、「国語」という教科の求めている論理性です。そして実際、小説でも同じ傾向が続いている。これもちょっと、問題を確認してみましょう。

▼具体例(2) 2009年本試験 小説
加賀乙彦『雨の庭』より

【本文】
 あらかた荷物の片付けが終ったところで弟がひとつサヨナラ・パーティをやろうじゃないかと提案した。三月半ば、春とはいえ寒波が襲った肌寒い日に一家眷族、つまり父と母、彼夫婦と息子、弟夫婦に姪と甥が八畳間に集った。彼と弟は酔って馬鹿陽気に笑いこけた。母は珍しく酒をすごし、息子たちの笑いに誘われて笑っていたのに、ふと顔を曇らせると声をあげて泣きはじめた。びっくりしたのは子供たちである。荷造りのすんだ段ボール箱や食器棚を利用して隠れん坊に興じていた子供たちはおばあちゃまの異変に立ちすくんだ。妙に白けた宴は、妻が気をきかして移り住む先のアパートの美質を、鍵一つで外出できるとか掃除が簡単だとかを語り始めたため再びさんざめいた。(傍線A▼)そんな一同の動きに終始無縁でいたのは父である。父はみんなの会話からは全く取残され、一入黙々と料理をつついていたが、やがて縁側に立ち水虫の足裏の皮をむしり始めた。そんな父を弟がおひゃらかしたけれど父は動じなかった。耳が遠いからな、きこえんのだよと彼が大声で言っても父は振向きもしなかった。

 その時父が何を考えていたかを彼はおぼろげに分るような気がする。父の七十年の全生涯はこの一軒の家で過されたのだ。それが今確実に消えようとしている、その気持を表現するとしたら黙り込む以外にないのかも知れない。

 いよいよ当日になった。(後略)


【設問】
問2 傍線部A「そんな一同の動きに終始無縁でいたのは父である」とあるが、「終始無縁」でいた父の心情について「彼」が想像した内容とはどのようなものか。その説明として最も適当なものを、次の 銑イ里Δ舛ら一つ選べ。

父は、七十年の歳月を過ごした家が自分の人生に結びついているので、引越しせず居続けたいと願っている。

父は、自分の家への愛着が家族の誰よりも深いことに気づき、陽気なパーティーの開催に違和感を感じている。

父は、七十年間を過ごした家がなくなると自分が生きてきたことの証も失われるかのように思い、心が沈んでいる。

父は、手放す家のことを考えると感傷的になり、にぎやかな息子夫婦や孫たちの振る舞いを苦々しく思っている。

父は、自分の生涯と切り離せない家への思いが深く、その気持ちを家族に話しても理解されないと悲しんでいる。



正解は、です。まあ答えがあってるかどうかはこの際どうでもよくて、問題は考え方です。

ネットで検索すると、たとえばこちらのサイトさんや、こちらのサイトさんに解説らしきものが書かれていますが、はっきりいって何を言っているのかわかりません

実際過去にはいくつかの参考書が解説で、「父の心情」を検証しようとしていましたが、これはもう論外です。だって、設問には「「彼」が想像した内容とはどのようなものか」ってはっきりかいてあるので、実際の父の心情は、どうでもいいわけです。

では、「彼」が想像した部分というのはどこかというと、「その時父が何を考えていたかを彼はおぼろげに分るような気がする。父の七十年の全生涯はこの一軒の家で過されたのだ。それが今確実に消えようとしている、その気持を表現するとしたら黙り込む以外にないのかも知れない。」というこの一段落だけです。ここだけを手がかりとして、この設問は解答できる。

再び、選択肢を見比べてやりましょう。すると、あることに気づきます。それは、 ↓は「父から家への」感情です。一方、◆↓ぁ↓イ蓮◆嵒磴ら家族への」感情です。つまり、「父」の心情の、対象が違っているわけです。

あとは簡単ですね。本文にはどう書かれているか見てやれば良い。「その気持を表現するとしたら」という部分の、指示語「その」が指す内容は「家への」感情か、「家族への」感情か。指示内容は「父の七十年の全生涯はこの一軒の家で過されたのだ。それが今確実に消えようとしている」という部分ですから、誰がどう考えても「家への」感情です。よって、◆↓ぁ↓イ和┷造望探遏

では、残るは,鉢の比較ですが、この両者を見比べてやると、これまたあからさまに異なる点があることに気づきます。それは、,蓮峅函廚法峙鐶海韻燭い抜蠅辰討い襦廚里紡个掘↓は「家」が失われることを前提にしている、ということです。これも本文に明らかに書かれています。「それが今確実に消えようとしている」のを前提とした気持ちなのですから、父親にとっては,料択肢はありえない。よって、答えはです。

これは、解説のために比較的わかりやすい問題をピックアップしています。しかし、これだけわかりやすい問題でさえ、流通している解説はごらんのありさまなわけで、いかにセンター現代文というのがまっとうに考えられてきていないか。そして、いかに不当に低く評価されているかはおわかりいただけるのではないかと思う次第です。

▼センター現代文が求める「国語力」
たしかに、こういった「分析」能力が果たして「国語力」なのか――そういう問いは成り立つと思います。しかし、やれ「悪問」だなんだと言っている人はほとんどが、センター試験の問題は、「要求している解答にたどり着くことが困難だ」という意味で「悪問」と言っています。各予備校の「総評」がその典型であり、それに乗っかる人も同様です。大学入試センターが求めている国語力そのものを(すくなくとも形式から伝わってくる内容を)、きちんと汲み取った上で批判している人を、一部を除いて私はほとんど見かけません。

また、この能力が「国語力」としてふさわしくないとも、実は私は思いません。たとえば、次のような場合を想定してください。

あなたが学生で、イ里海燭┐鮟颪い拭それに対して先生が、「こたえはだからお前は違う」と言われても、納得出来ませんよね。先生には、「きみはこう書いているけれど、それは本文のこことズレている。君はそういう意図ではなかったのかもしれないが、君の表現は、本文のこことはこのように違うことを言っているのだ」と説明する能力が求められます。

このとき求められるのは、最初にも申し上げた通り、テクストそのものを読解する能力以上に(以上に、という言い方は不適切かもしれませんが)、テクストに対する評論を、つまりは誰かの意見をただしく把握する能力です。もうちょっとざくっといえば、とりあえずおおまかな構造はきちんと抽出できる能力なのかな、と。

おそらく、テクストそのものへの専門的なアプローチというのは大学に入ってから学ぶべきことです。そのまえに、手がかりとなる「論文」を読む力が、受験生には備わってなくてはならない。だから、ある発言なり解釈なりが本文のどこから導かれたもので、そしてそれがどのくらい妥当なのかを見極める能力を高校生のうちに身につけてください、というのは国語学習の道筋の付け方として、私はそれなりに理屈が通っていると思うわけです。

▼今年の問題はどうだったのか
今年のセンター試験の問題は、なるほど読みにくかったでしょう。どちらも長いし、現代文というより近代文で表現が厄介。漢字も今風ではない。「了って」ルビふってなければ読めずに爆死した受験生が多くいたであろうことは想像に難くありません。その意味では、確かに「難化」している。けれどそれは、実は本質的な難化ではありません。

どちらかというと、難解な本文に対して入試センター側が一つの解釈を提示するという形になっているぶん親切かもしれない。その辺、河合塾が評論に下している、「設問は比較的わかりやすく作られているため、全体としての難易度は昨年並み」という評価は妥当なように思われます。とりあえず選択肢をきちんと比較しながら追いかけてやれば、解釈をサポートする形式がとられています。

たとえば各予備校がこぞって難しいとしている、今年の評論の問5。「文学的表現や随筆的な心情を問う問題」なんて東進さんは書いておられますが、たぶんそういう読み方を要求してはいません。

これは、まず「鶴丸透」を彫った主体が「地金を鍛えている人」なのだから、「武士」や「金工家達」としている△鉢を消去。い蓮「討死した信玄の子供の不幸な境遇が連想」されたのは鳥を見る前の話なので事象の前後関係が本文と逆になっている(そもそも連想されたのは子供じゃなくて「信玄」本人だと書いてあるので、そこで切っても良い)。残るのが,イ任垢、小林が見ているのは巣を守る鳥の姿ではなくて、飛び立っていく鳥の姿なのだから,鷲堙。と、こうやれば瞬コロ。

随筆的な心情なんか聞いてません。イ料択肢にある、「美を体現していることに感銘を受け」なんていう曖昧で主観的な部分を、センターは判断根拠にしてくれとは一言も言っていないと思うんです。

これまで大多数の学校側や予備校側(十把一絡げもどうかと思いますが)は、そういったセンター試験の意図を「読解」せずに放置してきた。酷いところは、図式的なテーマに文章をあてはめ、「テーマ集」のような参考書で知識を詰め込み、そのあてはめによって国語を解かせようとしてきたわけです。そんなものが国語であってたまるか、とまで思ったかどうかはわかりませんが、設問の形式はかえず、本文だけをガラリと変えてきた。センターが求める読解力は、そういう見かけの難しさとは違うところにあるんだよ、という親切なメッセージとして。

そんなふうにとることもできるのかな、と思うのですが、いかがなもんでしょうね。

▼明日に続く……?
実はこの後、実際に今年のセンター現代文の問題を説明するつもりだったのですが、長くなったのでちょっと後日に回します。というか、そもそもセンター国語に興味ある人いないんじゃないかっていう話もあるんで、不評なようならやめるかもしれないですが……。まあ反応を見ながらということで。

あ、別に大学入試センターの回し者とかじゃないですよ。ちょっと煽るように書いた部分はあるんですが、センター試験のあり方について議論するなら、ある程度センターの立場に即して、何のためにこんな試験やってるのかという可能性を最大限ひっぱりだす必要があると思うからです。敵対勢力を低くみたほうが戦いは楽ですが、それじゃあどこまでいっても水掛け論にしかならないと思いますし……。それは私自身にもブーメランとして返ってくるのかもしれませんけれども、まあそんな感じで。

それでは、また明日。

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コメント

おもしろす

センター国語の語り、非常に面白かったです。これほどセンター国語に通暁されているところをみると、OYOYOさんの職業は予備校の先生か何かでしょうか。読解能力が高くていらっしゃる。ぜひ続きを拝見したいです。

蒼い稲妻さん江

コメントありがとうございます。

「面白い」と思って頂けたというのは、最高に嬉しいです。ありがとうございます! たぶん過去の私の記事の中ではそれなりにまともなことを書いた部類だと思っているので、特に……。

なんだか買いかぶって頂いてしまいましたが、見栄張っても仕方ないので申し上げますと、受験指導のプロフェッショナルではございませんし、もしそうなら、こんなエロゲーの話連呼したりはできない(笑)。

友人が教育産業で起業していて、そちらを時々手伝ったりはしているために、過去問なんかは目を通すし、解説を書くこともある、というバイト未満の程度です。もちろん、やるからには片手間ではやっていませんが、四六時中受験について考えてはいない。

上記の私の記事も、たとえばセンターの入試を作る先生が何年おきにかわっていて、何名で……といった事情は考慮していないので、プロの方から見たら「寝言いうな」という話になるかもしれません。ただ、設問分析としてはそうそう外していないとは思っていますが。(少なくとも、リンクを張らせていただいた解説よりはわかりやすい解法を提示しているつもりです)

続き、読みたいと言っていただけて張り合いがでました。近日中に書きたいと思います。

それでは!

今年のセンター試験現代文については悪問説と「読書不足のゆとりの国語力不足」説の二択でしか現代文を批評する声が見つからなかったので、非常に興味深い記事として読ませていただきました。
1月にセンター試験を受験しますので、後日もう一度机の前で過去問を参照しながら熟読させていただきます。

とある再受験生さん江

コメントありがとうございます。

いま読み返すと少々分かりにくい書き方をした部分もあり……お力になれば良いのですが。センター試験でのご検討を祈っております。

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