よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/02/12(火) 22:34:18

以前、表現規制問題のお勉強的な記事を書いたことがありましたが、私にとって規制問題というのは定期的に噴出してくるたぐいではなくて、ずっとくすぶっていて、世間のほうで盛り上がりにあわせて「またか」という感じで浮上してくるタイプの問題です。熱心な運動家でも気楽な大衆でもなく、一番中途半端でどっちつかずな奴ですね。

んで、ローマ法王に話題をかっさらわれた感もありますが、最近会田誠さんが森美術館で行った展示をめぐってあれこれ騒動が起きていて、18禁がどうのこうのという話もでていたので、ふーん、へーってな感じで見物していました。

この件については、特に私からいうこともありません。私は表現の自由原理主義者なので、会田さんが展示やるのも、それに対して反対勢力がデモンストレーションするのも、美術館側が意見を聞いたり聞かなかったりするのも自由だと思う。これに公権力が絡んできたら話は変わりますが、そうでないなら物騒な喧嘩にならない程度に頑張ってくださいネ、くらいの感じ。

ただ、一連の騒ぎの中で「18禁」というものの位置づけについては、やはりある程度問われなければならないんだろうなという気はしてきました。

というのも、いまは18禁といえば概ね「有害」の代名詞というか、ポルノを筆頭に「青少年の健全な育成を妨げる」ものだ、というのが前提になっている部分があります。だから、「青少年健全育成保護条例」なんて呼び名のついたわけのわからん条例ができあがったりする。

しかし、よくよく考えてみると、性的な表現はどのくらい害悪なんでしょうか。保体の授業は害悪なの? 火サスの濡れ場は? てか、エロいことがいけないならコウノトリが赤ちゃん運んでくるの待たないといけないんでしょうか。

「過剰な性的描写は害悪だ」といわれるかもしれません。でもそれは、性表現の害悪ではなく、「過剰さ」の害悪でしょう。性的なものでなくても、行きすぎ・やりすぎは青少年の健全な育成にとって、明らかにマイナスです。「過剰な」嘘とハッタリが飛び交う国会中継とか、「過剰な」インタビューでスキャンダルを追いかけるワイドショーとか、あれだって十分すぎるくらい有害ですぜ。

さりとて、性的なものを18禁から外せとか、そういう話をするつもりはありません。自主規制と法的な話が混ざるので少々アレですけれども、酒やたばこもそうで、年齢制限があるものって単に有害であるだけではなく、そのものを味わうのに一定の経験とかリテラシーが必要だし、味わう過程で自身にとってマイナスのできごとがおこっても、その結果の一切を引き受けるだけの覚悟と責任能力が求められる、ということでもあるんですよね。そういう意味でいえば、「性表現」に一定の年齢制限を設ける意味は(18歳という年齡がどうかという議論はおいといて)あるだろうと思われます。

ということは、15禁なり18禁なり20禁なりというのは、一定のリテラシーを持った人たち相手に、作り手の側もリミッターを解除して表現を行なうための制度という側面もあるのだと言えそうです。酒だって、自分で体調をコントロールできる人であることを前提に、度数や味を変えているのだと考えれば良い。これはつまり、受け手に対する信頼です。用法用量を守って、正しく楽しんでくれるはずだという。

エロゲーにしたってそうで、痴漢ゲーやってるから痴漢になったとか、作ってる側からすればアホ言うなっていう話ですよ。なんでやねん、と。んでしかも、その時一足飛びに、「やっぱりああいう表現があるのが悪い」と、こうなる。なるというか、そういうことを言う人達が一定数いる。でも、ちょっと待ってほしい。それ、ほんとに表現側の問題なのでしょうか。

上述したように、規制が設けられているということは、基本的にその年齡以上なら大丈夫だという「信頼」の証でもあるわけです。そのつもりで、表現する側としては手加減なしでやってみて、まあ殆どの人は普通に受け取ってると。そういう中で道を踏み外す人が出てきたとして、そりゃ表現そのものもある程度見直す必要はあるんだとは思いますが、まず考えるべきは受け手の側のリテラシーだと思うのです。

別の言い方をすれば、表現に規制を設けないとまともな社会生活を送れないのって、超過保護というか、未成熟ですと言いふらしてあるいているようなものではないかということです。「厳しい法規制」があるのがさも立派で素晴らしいことのように言われていますが、そんなもん無くたって誰もがまともな対応できる社会のほうがよほど成熟してません? 加えて言えば表現にとっても、「社会や人間を変えるような」エネルギーを持ったものがどんどん骨抜きにされていくのは、大いなる損失だと言える。

要は何かあったら脊髄反射的に、すわ規制、というのではなくて、表現の側をどうこうするまえに、受け手の教育なり倫理道徳をきちんとやろうぜという話です。多くの表現者が受け手を信頼して自由な表現をすることができ、受け手もその信頼に応えて行ける社会のほうが私は良いと思うし、そのために運動していこうっていうのが生産的な気がします。

まあ、このへんは理念に走りすぎていて現実見えてないと言われるかもしれません。また、法制的な規制の意味とか概念については全プッチして喋っておりますけれども、それでも、年齢制限を単なる汚物処理というか、社会のゴミ箱みたいに考えて「臭いものにフタ」して、いつまでもしょうもない問題がくすぶり続けるだけなのよりは、数段マシではないでしょうか。


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