よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/02/21(木) 23:10:32

あ、こんなタイトル書いてますけど別に童貞の権利をジュネーブ条約で約束すべきだとか、ワシントン条約で保護すべきだとかいう話ではないですよ。もちろん迫害すべきだとかでもなく。

発端は数日前、タイムラインを埋め尽くした「童貞はエロゲはしないでほしい」という話(参考:「家宝は二次元」さんの記事)。一方、「童貞がエロゲー作るなんて論外」みたいな話も根強くあります。いわゆる経験(実体験)至上主義。いやね、童貞云々はともかくといたしまして、これについては色々言いたいことあるんですよ。

実際問題、たとえばノンフィクションであれば、体験したこと・経験したことを書くのが基本です。そりゃあったりまえ。でも、フィクションで実体験をそこまで強く求める意味ってあるのでしょうか。私にはどうもあるようには思えない。

別の言い方をしましょう。「童貞がエロゲーをやるのはダメ」ないし「童貞がエロゲーをつくるのはダメ」という命題は、どういう意味を持っているんでしょうか。

このスレ主さんは「こっちまで変な眼で見られそう」とか言っちゃってますけど、童貞と同じ空気を吸うのがイヤとかそういう話? でも、童貞だってコンビニを使うし道を歩くし自転車に乗る。呼吸だってします。童貞だけ光合成できるとか、そんな特殊能力ついてません。それともなんですか。18歳以上の童貞は呼吸もするなと? 「ランボー・怒りの童貞」みたいな? 童貞いじりに定評のあるゆずソフトさんでもそこまで言いませんよ。

まあ今のは極端な話にしても、おそらく、エロゲーというのは童貞がプレイするものだというイメージが鬱陶しい、ということなのでしょう。自分も童貞だと思われたくはない、と。私は微塵もそんなこと考えませんでしたが、そういうの気にしてる人がいるとひとまずは納得することにします。

それだけの話なら単にこの人の趣味の問題で終わりなんですが、その後自分で「セックスもしたことないのにエロゲやっても無意味だろ?」と言ってみたり、他の人からはやはり「童貞はエロゲ作らないでほしい なら賛成した」のような話が出てきます。これってつまり、エロゲーを含む創作物(フィクション)を読む/作るには、実際に経験をしているのがベストだ、という論法ですね。

もしこれが、「実際に経験した人でないと描けない/読み取れないものがある」程度であれば、私も文句は言いません。というかそれはまあ、その通りでしょう。経験者だけがわかること、経験者でないとわからないことというのは間違いなくあります。たとえば雪を実際に見たことのない人が「雪国」の話を読んだってピンとこないかもしれない。

しかし、それをもって「フィクションに関わるには経験してるのが一番」という結論にもっていくのは、あまりにも早計であると言えます。このことは当ブログで何度か取り上げたことなのでお馴染みの人には「またか」と思われてしまうかもしれませんが、いましばらくお付き合いください。

じっくりと前提から考えて行きましょう。そもそも、フィクションにおいて、「経験者しかわからないこと」が伝わるのって良いことなのでしょうか? 良いことなのだとしたら、なぜ? どんな風に?

仮に、ここに二つの詩があるとします。一つは、雪国に住んだことのある人にしか雪の情景がつたわらない詩。もう一つは、雪を見たことが無い人にでも、雪の様子が伝わる詩です。さて、あなたはどちらのほうが表現として優れていると思いますか? あるいは、雪国の人が書いた雪の詩で雪国の人が感動するのと、雪を実際に見たことのない人の詩で雪国の人が感動するのとでは、どちらのほうが表現に力があるといえるでしょうか?

上の質問は色々な前提をすっとばしたものですが、言わんとしているのはこういうことです。もしもフィクションが、実体験を経験者に伝えるための(それが主たる目的であり役割の)ものだとしたら、フィクションというのは実に狭くて貧弱なものに成り下がってしまうのではないか、と。

もちろん、そういう立場もありえるとは思います。でもそれって、フィクションよりノンフィクションが偉くて、文字だけの小説より映像使ってる映画のが偉くて、それら全てよりも現実こそが最高であるってことになりますよね。雪の詩なんか詠んだり読んだりしている暇があったら、雪国に行って雪を味わってこいと。それで全部終わり。そうなるともう、現実至上主義というか、現実以外の創作物の全てを否定してしまえる。実際にフィクションを楽しんでいる人がとるべき立場だとは思われません。

「童貞はエロゲはしないでほしい」と言った人も、それは自分がエロゲーやるときにイメージが邪魔になるから言ったわけで、エロゲー自体はやりたいんですから、「現実が最高です」という主張だと考えてしまうと、単なるアホみたいな自己撞着です。「そもそもテメーはエロゲーやんなよ。リアルにセックスしてろや」って言われておしまい。なので、ちょっとまずいですね。「経験至上主義」=「現実至上主義」の路線は破棄しましょう。

では、フィクションを楽しむことと「経験至上主義」がバッティングしない道筋はあるのかってことですが、これはたぶんあります。どういうのかといえば、それは、フィクションにおいて現実の経験が、現実以上にはっきりと写し取られているという風に考える場合です。たとえば戦争をすればたくさんのことが起こります。でもその中で、特に「死の辛さ」にクローズアップしてフィクションを作れば、「いろいろなこと」を取り払ったぶん、フィクションが現実以上に「戦争の死の辛さ」を本質的にを捉えられるかもしれない、みたいな。

ただし、それだけでは足りなくて、プラスアルファとしてそういう現実の本質みたいなのは、経験者ほどきちんと触れられるはずだ、という信仰がついてこなくてはなりません。というかむしろ、こっちが今回の話だとメイン。この時、実際に戦争に行った人がつくり、実際に行った人が見る……というのが最高のサイクルであるということになるでしょう。フィクションを作るのにも、楽しむのにも、「現実の経験」という資格があって、それを満たしている人のほうが理想的な楽しみ方ができる、というわけです。

こういう立場をとるなら、強いて否定はしません。でも、ほんとに良いの? って思っちゃう。だってそれ、相当キツイハードルですよ。海外旅行行ったこと無い人は、洋画なんか見たって楽しめないことになるし、21世紀になってもタイムマシン発明されなかったわけで、日光江戸村あたりがせいぜいの現代人が時代劇とか楽しむにはどうすんのって話。エロゲーでいえば、男子校に通ってた人は共学校の学園ものを楽しめないとか。たといそうだったとしても、そこで伝わる楽しみって、フィクションにとって本質的なものなんでしょうか。私には、そうは思えません。

それともマジで、「おれ、緑色の髪の子と付き合ったことないから、このヒロインちょっとわかんねーわ」とか、「ループしたことないから、ループものはちょっと無理だな」とか言っちゃうんでしょうかね。そろそろハルパゴス先生が出てきそうな気配です。

ハルパゴス
ハルパゴス先生、出番です。(出典:「ニコニコ大百科」さん)

実際に経験しているほうがわかりやすいとか、書きやすいとか、そういうことはあるでしょう。でも、そうでないと書けない/読めないものがあるっていう立場に立つのは、やっぱり私にはいただけない。少なくとも、フィクションの目的というのはそういう「経験」を伝えることが第一ではないはずです。それを、「経験」が伝われば良い、と安易に考えるからおかしなことになる。

もの凄くリアルな話を読んだ時に、「これはこの人の実体験だからこんなリアルなんだ」とか、「これ自分も味わったから身につまされる思いがするんだ」のように、ついつい人は考えてしまいがちですが、それは面白さの十分条件であって必要条件ではないということです。フィクションが伝えうる魅力というのは、現実に転がっている何かとは別のものではないか。少なくともフィクションは、現実の劣化版ではなくて、現実をどこかで超えているからこそフィクションなのでしょう。ならばその「本質」に触れるのに、実際の経験の有無は、果たして絶対に必要だと言えるか否か。

「○○をしたことがあれば楽しみやすい話」はあるかもしれないけれど、「○○をしたことのある人しか楽しめない話」は無い。そうでなければ、フィクションに意味は無いじゃないか。そんな風にさえ思います。フィクションの面白さというのは、もっともっと奥が深い。それに気づかず、「リアリティ」という一面だけで捉えてしまうと、視野が狭くなって残念なことになるんじゃないかなぁと。


そんなことを思いながら、やや脊髄反射的に反論したら上のような発言になりました。自分の発言を貼り付けるのって何度かやってるもののいつも微妙に違和感ありますが、リアリティはやっぱり大事でしょう的なツッコミを頂いたので、お返事代わりに。

では、本日はこれで。また明日お会いしましょう。


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コメント

読み手(受け手)次第なんでしょう多分。
間違いから発生した(?)ヤオイ穴をどう思うかみたいな?
読み手が欲しているのが疑似体験なら間違いは修正してほしいと思うだろうし、そうでなく新たなエロ表現を欲しているなら間違いも含めて楽しめるみたいな?

774さん江

こんばんは。コメントありがとうございます。

受け手が求めているもの次第である……というのは確かにそうなのですが、私としては「作品の側の目指すもの次第」という部分もあるのかな、という気がしています。

たとえば、特撮番組に「空想科学読本」のようなツッコミをガンガン入れて、それはそれで一つの立場としてアリだとは思いますが、現実の物理学にあわないからといって作品の面白さが損なわれるわけではない。

逆に、現実性をウリにしている作品(歴史ドラマとか)で、あまりにもあからさまな事実との食い違いがあったりすると、これは「おや?」となっても仕方ない気がする。

リアリティというのは、文脈を離れて絶対的に正しい価値ではなくて、その作品にとってどういう意味があるかが大事かなーと、そんな風に思って記事を書いた次第でした。

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