よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/06/10(月) 17:34:42

1776年、アメリカ合衆国の独立戦争のさなか、トマス・ペインが書いた『コモン・センス』は爆発的なヒットとなり、多くの独立戦争支持者に勇気と希望を与えたと言われています。

この本が『常識』と訳されたため、日本では常識=コモン・センスという訳語が定着しています。しかし、もともとの意味合いとしては「センス」とあることからも分かる通り、「良識」のほうが近い。太陽が東から上って西へ沈むとか、キオスクは駅の中にあるというのは「常識」。お年寄りが乗ってきたら席を譲りましょうとか、人の足を踏んだら謝りましょうというのが「良識」。そして、「コモン・センス」は後者の意味であって、前者は「コモン・ノレッジ」(common knowledge)と言う――。

私は高校の時にそんなふうにならったのですが、アメリカで仕事をしてる友人曰く、「いや、その「常識」もcommon senceって言うけどネ。「良識」みたいなのは、common courtesyって言うかなぁ。両方まとめてetiquette、みたいな?」ということだそうで、どっちやねんっていう状態。しっかりしろ、日本の英語教育!(理不尽な怒り)

というのはおいときまして、先日うちの従姪の話をしましたが、ちょっと驚いたのは、彼女、「やかん」を知らないんですね。

言われてみればなるほど、いまの家庭は電気ポットを使うからヤカンなんておいてない可能性も高い。実際、我が叔母うえのおうちにはありませんでした。

これに驚いて他の親戚と話をしていると、「きゅうす」をしらない子どもが増えているという話題が出て来ました。普段お茶どうやって飲むかというとペットボトルか、お湯の中にティーパックをぶち込んでいる。来客もほとんど来ないから、そもそも家にあっても急須を使わない……。

実家に帰ればヤカンも急須もあるのでしょうけれど、核家族化が進んでそういう機会も減ったのでしょうか。その理屈で行けば、マンション暮らしの家とかだとバケツやタライを見たことがないという子どももいそうです。

最近の子どもはことばを知らなくなった、などと嘆く声をよく耳にしますが、こういう現場に立ち会うと、なるほどそれも仕方ないのかなという気がします。だって、生活の中で使わないようなことばは、身につきませんから。

もちろんそのぶん、「新しいことば」を覚えているわけでしょう。しかし、絶対的にストックとしてことばの量は減っていると思います。「こういうのってどうすればいいのかねえ、OYOYOくんは、どう思う?」って訊かれたけど、私にもわかりません。むしろ教えて欲しいくらいです。

ことばの習得について、自分自身が子どもだった頃を思い出せば、『二十四の瞳』に出てきた「柳行李」ということばが妙に気に入って覚えたり(岩波の少年少女用のやつだったので、イラストも入っていました)、『シャーロック・ホームズ』シリーズを読んで、「3フィート」だとか「醜聞」のようなことばの意味を尋ねまくったりしていた記憶があります。まあ、読書でした。

今はそういう読書の機会が減ったというのもさることながら、わからないことばに出くわした時、気楽に聞ける親きょうだいが少なくなった、というのも、ことばを知らない子どもが増えた、大きな原因なのかもしれません。テレビにしてもそうで、お父さんが働いていて、お母さんは家事をしていて、子どもは一人テレビを見ながら食事……というのでは、わからないことばが出てきたとき、すぐに質問できませんものね。辞書引いて調べるなんてもっと無理ゲーですし。

とはいえ、「親子のコミュニケーションをとりましょう」とか言っても物理的に無理な場合はあるし、結局こういうのって「なるようにしかならない」というのが本当のところなんじゃないかなぁという感じがします。それで問題があるというなら、もう、学校でやるしかないですね。しつけとちがって、「教育」の一貫として、幼稚園なり小学校低学年なりの期間に、「常識」(コモン・ノレッジ)を吸収できるような環境を作っていく。

できれば、座学じゃなくて実践の中で、しかも子どもがモノをしらないから「簡単なことから教える」というのではなくて、ちょっと難しくても良いから子どもたちに背伸びをさせるような内容のものが良いと思います。「知りたい」と思えること、そういう原動力になることを、子どもに与える。そうすれば、自然に家庭の中でも、親御さんとの少ないコミュニケーション時間の中で、いろいろな質問をしたりするんじゃないかとか。

まあ、そもそも生活の中で使わなくなってきたようなものについては知識が無くても良いという考えもありますけどね。ヤカンについては、小学校にあがったら給食とかでお目にかかるだろうし、まあ一生ヤカンを知らないままということは無いのでしょうし、本当に必要なものならそうやって覚えていくハズですから。

ただ、私たちはやっぱりことばによって世界を把握しているし、知らなかったことばを知ることで世界が広がるということは、間違いなくあります。子どもの世界を拡げる可能性を、むざむざ捨てるのは、やっぱり勿体ないなぁと思うのです。

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