よい子わるい子ふつうの子

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2013/10/08(火) 20:37:10

余り知られていないかもしれませんが、「フリーター」ということばには、一応定義があります。

1991年、厚労省が「若者の人間力を高めるための国民会議」というのを開催し、その中で定義がなされている。それによればフリーターとは、(1)15〜34歳の人。(2)現在就業している者については勤め先における呼称が「アルバイト」又は「パート」である雇用者。(3)女性については未婚者。(4)在学者を除く。(5)現在無業の者については家事も通学もしておらず「アルバイト・パート」の仕事を希望する者。

以上をざっくりまとめると、「15〜34歳の男性または未婚女性(学生を除く)で、現在パート・アルバイトに従事している者か、もしくは現在無職であってもパート・アルバイトに就労を希望する者」という感じで要約できるかと思われます。

 参考: ▼厚労省「若年者問題に関する関係府省等の取組・連携の強化について

「パート」や「アルバイト」にもさまざまな定義があってややこしいので、そのあたりはいったん措くことにしましょう。いま注目したいのは、「15〜34歳」という年齢の部分。

この定義を鵜呑みにするならば、35歳を超えたらフリーターではないということになるんですね。これは、厚労省がこのときに設定した「若者」の定義にそっています。

行政の「若者」定義というのは場面に応じていろいろと変わっています。それぞれ適当に決めている可能性は無きにしもあらずなのですが、ここで「15〜34」が採用されたのには、それなりに時代的な背景が関係していそうな気はします。想像の域を出ませんがおそらく、1991年当時の状況では35歳以上で正規雇用されていない人というのは、あまり想定されていなかった。しかし、現在はどう考えても40歳付近で上記の条件に適う人がいっぱいいる。行政ははたして、かれらを何と呼ぶのでしょう。

91年というのは言うまでもなく、バブル崩壊から「安定成長期」が終焉を迎え、日本経済が長い長い混沌の時代へ突入しようとしていた時期です。15歳〜というのは、形式的には義務教育が終了する年だから採用されただけだと思いますが、あとづけの結果的にいわゆる「ロスジェネ世代」(1975年ごろに生まれた世代)や「第二次ベビーブーム世代」(1971年ごろに生まれた世代)を意識させるものとなっています。34歳までというくくりがどういう枠組みから採られているのかはよくわかりませんが、意味としては団塊の世代は含まない、ということだったのではないかと想像します。

もちろん、現実の「フリーター」ということばは35歳をこえていようがアルバイト・パートとして働く人に使われることが多いし、意欲はあっても実際に就労していない人は「フリーター」ではなく「ニート」と呼ばれている。その意味で、厚労省の定義というのはあまり現実に即した内容とは言えません。

ただ、1990年初頭からすでに、30代中ごろの人間も就労者の中で「若者」(若年者)の範囲に入っていた、ということは面白いと感じました。たぶん、「若者」と言われて34歳を思い浮かべる人はそれほど多くはないと思う。実際会社員だとすれば、とても新人の年齢ではありません。しかしこと就労に関して言えば、行政上彼らは《若者》として、つまりはまだ成熟していない人間として扱われているわけです。


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※ちなみに、少年法では30歳までが青年扱い。日本青年会議所だと20〜40歳までを青年と呼ぶようです。ここで《若者》=未成熟としたのは、たとえば公明党の「京都市青年ネットワークの提案〜青年の大人への移行を支援するための政策〜」の本文(pdf)から、「大人になりきれない若者を論議する場合、概念的には「青年」の方が適している。従って、以後は、社会的立場を意味する場合は「青年」の語を使う。 」のような内容を参考にしています。他の場面で「若者」や「青年」ということばの持つ意味というのは多岐にわたるとは思いますが、この手の行政的な文脈において、「若者」というのは大人になっていない未熟な存在というニュアンスが強いのではないか、という解釈です。そこで、差別化をはかるため《若者》という表記を用いてみました。
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《若者》として扱われるということは、極端な言い方を承知で言えば、社会的責任を担う存在になりきれていないと見做されている、ということでもあります。《若者》であるフリーターの範囲が高年齢化する社会というのは、社会的責任を担うことができない世代が増えている――別の言い方をすれば、上の世代が若い世代を信頼して役割を任せることが少ない社会であるということでもあります。

いわゆる世代間承認の問題、ということになるのでしょうか。《若者》を批判する文脈は、どこかで《大人》たちへと返ってくる。《若者》は好きで未熟なままにいるのではなく、《大人》たちが彼らを認めるシステムを持たないのだ、と。少なくとも経済の面からみて、《大人》は《若者》を社会の一員と簡単には認めないように扱っているのですから。

よく社会問題として取り沙汰されるモラトリアム期間の延長や、社会的責任に無頓着な「幼稚な成人」の増加というのは、本来こういった政治的・経済的な問題とセットにして考えられるべきではないかと思うのです。

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