よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/12/07(土) 23:27:42

  「無関心は権力者、統治者への静かな支持である。」 ――ウラジーミル・レーニン

特定秘密保護法案の採決をめぐり、このところごたごたが続いておりました。

私自身は反対ではありますが、それは法案の中身というより成立過程の問題だったのでその話はいったん措くことにしまして、気になったのは「マスメディア」の影響力の無さ。新聞、TVを中心に結構「煽って」いた感じがあったんですが、あんまり乗ってる人いなかったなぁと。それとも、私が見ていた範囲が特殊だったのでしょうか。

「煽って」いた部分については、メディアですから仕方ないというか、「知る権利」を掲げて本法案に反対するのは当然でしょう。しかし、正直効果があったのかはよくわかりません。御茶ノ水で署名を集めていた人たちは、「マスコミと協力して〜」などと呼びかけていましたが、残念ながら立ち止まっている人をほとんどみかけませんでした。

今回の法案が通ったことで分かりやすく不利益が直撃するのはマスメディアのはずです(そういう視点はどうなの? と言われるかもしれませんけれど)。なんせ、「情報」を商売にしているのですから。つまり、メディアが呼びかける危機感に対する国民の冷たい反応というのは、そのままメディアへの反応の温度でもある――より直截的に言えば、「私たちメディアが提供しているこういう情報も、今後見られなくなるかもしれませんよ!」という呼びかけに、「別にTVや新聞から入ってくる情報が制限されても良いし」という冷たい反応を返されたということでもあるはず。

マス(大衆)を標榜する以上これはまずいというか、どちらかといえばこういう重要な法案を前にして力を発揮してこそナンボではないのかと思うのですが、多くの国民に届く声を発することのできたマスメディアが、果たしてどれだけあったのか。

いやいや、沢山の人が動いていたし、デモもあった、と言われるかもしれません。しかし、彼らは別にマスメディアが煽らなくても動いた人たちでしょう。

だからといって別に、デモをしろとか呼びかけろと言っているわけではありませんよ。ただ、国民がこの法案についてしっかり判断できるような「真実」を遺漏なく伝えれば良い。そのうえで、自分たちの立場を述べる。報道の中立性とメッセージ性は同居可能です。

アジテーションやらセンセーショナルな見出し、深刻そうな表情など必要ありません。その程度の基本中の基本ができていないのにデコレーションばかり派手にするから、誰も動かないんだろうと思います。見限られているというべきか。

彼らが深刻な顔で、TVカメラの前で発言することばを、彼ら自身が本当に信じているならば、なぜマスメディアは自分たちのメディア生命を賭けてでも法案成立をとめるべく動かないのでしょう。あるいは、ニュースの枠を拡大し、バラエティを取りやめてでも特集を組んで「立ち向かう」ことをしないのはなぜなのでしょう。

ビートたけしが、こんなことを言っています。

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 まァ、わざわざ「ナチス」なんて言葉を持ち出してくる麻生さんも不用意だけど、もっと解せないのは朝日新聞やらがこのニュースを海外に向けて大々的に発信して責めるという図式だよ。
 政策の問題点やら、公共事業のムダ遣いやら、キチンとした政権批判はジャンジャンやればいい。だけどこれについては、ただ単にニッポンの恥を拡散して喜んでる感じがして珍妙なんだよな。新聞はそれで嬉しいのかねェ。
(ビートたけし『ヒンシュクの達人』)
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内容について諸手を上げて賛成というわけにはいきませんが、最後の「新聞はそれで嬉しいのかねェ」というのは、割りと本質をついたひとことのように、私には思われる。新聞にかぎらずいまのメディアというのは、「誰のために」存在しているのか、その基板がどうもあやふやに見える。

もっといえば、いまのマスメディアは「マス」のために報道をしているのかどうか。今回の件も、「国民にとって問題だ」と言っておきながら、自分たちはまるで「対岸の火事」を見るかのように動いているように思えてなりません。

最初の方に、「不利益が直撃する」という話をしましたが、まさに彼らは「不利益」程度にしか考えていないのかもしれない。彼らは国民でも国家でもない「マスメディア」という第三勢力であり、法案のことはせいぜい飯の種くらいにしか考えていない、というのが正直なところではないでしょうか(すべての番組をチェックしているわけではないので、事実誤認や例外があったらごめんなさい)。国民にとって真に何が問題なのかを掘り下げ、説得的に伝えることができていないし、やる気もないのかもしれない。

実際、今日は早速ワールドカップがトップニュースになっていましたし。もうそっちに移っちゃうのね、という。

そしてそのような腰の定まらなさゆえに、多くの人の信頼を失い、同時に「力」も失ってしまった。

『大唐新語』のエピソードを何となく思い出します。

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唐臨為大理卿,初蒞職,斷一死囚。先時坐死者十餘人,皆他官所斷。會太宗幸寺,親錄囚徒。他官所斷死囚,稱冤不已。臨所斷者,嘿而無言。太宗怪之,問其故,囚對曰:「唐卿斷臣,必無枉濫,所以絕意。」太宗歎息久之,曰:「為獄固當若是。」

(大意)
唐臨が大理(司法)長官となって初めて裁判に臨み、一人に死刑判決を出した。それまでには過去の長官が裁いた死刑囚が十数人いた。たまたま太宗(この時の皇帝)が立ち寄って、刑罰に誤りが無いか点検していると、その十数人はみな冤罪を訴えたが、唐臨に裁かれた一人だけは黙ったままだった。訝しんだ太宗が理由を訊ねると、その者はこう答えた。「唐長官が私を裁いたのですから、私欲を交えず法に沿った判決のはずです。ですから、抗弁をあきらめました」太宗はため息をついて、言った。「裁判というのはかくあるべきだ」
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ある判断に人びとが心から納得するのは、誰もが納得できる「法」にきちんと従っているからだ、という感じのお話です。もちろんこの話は唐臨の優秀さを物語るものではあるのですが、同時に、「民」というのは自分たちにはたらきかけてくる相手が、私利私欲に基いているかそうでないかを見分ける力をもっている、ということも語っていると思う。

マスメディアが力を失ったのは、愚かな大衆のせいなどではなく、その大衆に見透かされているメディア側の問題というのが大きいのではないかなぁ。

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