よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/12/08(日) 11:07:14

ネットではよく、人が「怒り」を表明している姿を見かけます。

リアルでも、特に職場などでは少なからずありますが、ネットは顔が見えないぶんリミッターが外れやすいのでしょうか、やたら口汚く罵倒し、しかもその様子が支持を集め、さらなる罵倒を呼ぶ……というシーンが多い。

しかし、こういう形で罵倒をしている人を見ると、私はどうも「うっ」となる。

昨日もとりあげましたが、『ヒンシュクの達人』という本の中で、ビートたけしがこんなコメントをしていて印象的でした。

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 最近、「自分が勝った」と思った瞬間に、相手をトコトン叩きのめしてやろうという感覚の人間が増えたような気がする。自分のほうが有利だとわかった瞬間に居丈高になるんだよな。
 スキャンダルを起こした有名人をネットで批判するヤツラもそうだ。絶対安全圏から、どん底に落とすまで叩きまくる。(中略)
 人間、自分が圧倒的に優位な立場にいるときに、相手にどう振る舞うかで品性みたいなものがわかる。「溺れた犬は叩け」じゃないけど、弱ってる相手、弱い立場の相手をかさにかかっていじめるのは、とにかく下品なんだよ。
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「下品」というのは、言い得て妙というか、そうだなぁと思います。もちろんそれは一つの価値観ですから絶対に正しいとは思わないけれど、私のように気弱な人間からすれば、「あの人にはちょっと近寄らないでおこう……」と思わせるに十分な力がある。

まして、自分には無関係なことで、よく知りもしないのに相手を「断罪」し、周囲と一緒になって罵詈雑言を並べ立てている人というのは、「私が似たような状況になったら、同じようにこちらの事情も考えずに責め立てて来るんだろうな」と思わせるに十分であり、その段階で親密なお付き合いを遠慮したい気持ちになります。

勘違いしないでほしいのは、別に批判することそれ自体を悪いと言っているわけではないということです。攻撃的なことも、口が悪いことも、私としてはそこまで気にしない。私の友人や、ツイッターのタイムライン上の人で口の悪い人なんてたくさんおられるけれど、その大半は「勝負」をしている人です。反論されるかもしれないし、自分も同じように攻撃にさらされるかもしれない危険と覚悟を背負って発言している。「下品」というのはだから、本質的には言葉遣いとかの問題ではありません。

たけしのことばを借りて言えば、「絶対安全圏から」見下すような態度、自分への反論を完全にシャットアウトするような「断絶」の態度をとること。これが、私の考える「下品」さです。なぜ「下品」に感じるかというと、そのような態度はコミュニケーションの放棄であり、他人の存在を無視することに対する開き直りだから。そしてそういう態度の人は、攻撃される心配が無いので、えてして攻撃的で、乱暴なことばを用いやすいだけだろうと思います。

人は誰も、自分の枠の中でしか他人を推し量ることはできません。コミュニケーションには、おのずと限界がある、ということはわかります。しかし、だからこそというべきでしょう、自分の枠には収まらない部分があるということを常に意識し、外側へと回路を開いておくことが大切だと、私はそのように思っています。だから、その回路を自覚的であれ無自覚であれ、閉じている人は敬遠したくなる。その印象を表現すれば、「下品」というのが近い。

具体例になるでしょうか、ちょうど、こんな記事がありました。

 ▼「表面だけの正義の味方になるな」(おやじまんのだめだこりゃ日記)

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2013年11月19日
表面だけの正義の味方になるな

友人が知人から仕入れてきた話。以下、友人からのまた聞き話だ。

詳しくは言えないけれど、俺の知人はいまクレーム対応でてんてこ舞いらしい。その知人が言うには「本人からのクレームならまだいいが、被害を被っていない人からの苦情が多くて、そっちの対応がたいへん」らしい。被害を被った人はその対応も実に紳士的なのだが、そうでない人は世の中の正義を振りかざしてくる。その姿はまるでネットイナゴそのもののようだとさ。

知人は「マスコミのスタンスってのも報道各社によってかなり違うみたい」と言っていた。物事をいろいろな角度から見て、できるだけ全体像を見せようとするところと、新聞社のくせにゴシップ的な書き方しかしないところ、その中間に位置するところと、はっきりと別れるらしい。ついでに言うと、ゴシップ的な書き方しかしないところはニュースバリューが落ちると見向きもしない。真実なんてそっちのけで、世間が騒げばそれでよしにしか見えない。そんなところがニュースを流しているし、そんな偏った報道しか見ていないんだから世の中もおかしくなるよなー、とかなんとか・・・

この話を聞きながら、俺もマスコミに踊らされて表面だけの正義の味方にならないよう気をつけないとなー、と思った次第。
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被害を受けたわけでもないのに、義憤にかられてクレームをつけてくる「表面だけの正義の味方」。これが「下品」の典型です。

彼らによって本当に対応が必要な人へのケアが遅れるとか、そういう実務上の問題もありますが、それよりなにより絶対安全圏から遠距離射程で一方的に攻撃を仕掛け、相手が倒れるのを待つという姿勢がここにある。

もちろん、本当の戦闘ならそのような戦い方にケチをつけるような野暮はしません。しかし、言論の場というのはお互いに噛み合ってナンボというか、意見を戦わせることで生産的な考えを生み出すことが目的でしょう(繰り返しますが、これは1つの信念として)。そういう場で、一方的に攻撃するバリアを張る、あるいはバリアがある状態で好き放題暴れまくるというのは、やってはいけないことではないけれど、そういう人と好んでお近づきになりたくはないですね。

とはいえ、そういう意味で品性を保ち続けるというのは実に難しいことで、私もそれができているとは到底思えない。無自覚に、あるいは自覚しながらやっていまっていることというのは多々あって、後から振り返って「あ〜あ……」と恥ずかしくなること数知れずです。後悔先に立たず、後も絶たず。

だからこそ、せめてもの抵抗というか戒めというか、「まずは形から」的な意味で、なるたけ言説の場では激昂せず、落ち着いた言い方で喋りたいと思っているのですが、先日「慇懃無礼だ」とか「遠回しに回りくどいことばかり言ってバカにしているように聞こえる」みたいに言われてしまい、軽くへこんでいます。

対話って難しい。

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