よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/12/10(火) 21:43:38

今日、お昼ごろ南北線に乗っていたら、駒込あたりで電車の中を走り回っている小学生がおり、それにお年寄りが半ギレになって注意する、という場面を見かけました。

親の教育がどうとかいう話をするつもりはないんですが、まあこの場合、子どもの方がかわいそうだよなぁと思う。本来そういう場面で「叱る」のって、親が良いんじゃないかなぁ。もしくは、兄弟とか。これは、社会的に親の責任がどうとかではなく、子どもにとって、という意味です。

私が子どもだったころを振り返ると、特に母親にめっちゃ叱られたんですが、母親に叱られるというのは最大の恐怖であると同時に、「いつか必ず許してもらえる」という妙な安心感も、どこかであったような気がします。もちろんそれは、うちの親が何度も私を叱り、何度も許す中で作り上げたものだったわけですが、「赤の他人」や「ちょっとした知り合い」だとそうはいかない。叱られたら叱られっぱなしで、許されたかどうか、はっきりと分からない場合がほとんどです。

そして、その「許し」が与えられないということは、子どもだった私には、かなり負担でした。それは私の性格的な問題なのかもしれません。統計的なデータがあるわけではありませんから。でも、私のようなちょっと内向的な人にとっては、叱られたけど許されなかったというのは、いつまでも引きずる悩みになってもおかしくないと思うのです。

だからこそ、子どもを叱るというのは親しい人、それもいつも身近にいて必ず「許し」を味わわざるをえないような人が率先してやるのが良いんじゃないかな。そんなことを常々考えています。

もちろん、最近はDVだなんだで「許し」を与えるどころかエスカレートして虐待までいっちゃったりするパターンもあるので、一概に身内万歳とは言いませんけれども、向き不向きというのはあるだろうと。

こういうのって大人になってからも同じで、誰かに注意されるのとかって、なんだかんだで立場とかのしがらみがあるわけじゃないですか。そういうのを抜きに、言いたいことを言って、でもお互いの関係が切れないという信頼が成り立っている間にある人が「叱る」のが向いているし、逆にいえばそういう間柄の人(親友でも家族でも、あるいは恋人でも)がいるというのはとても幸せなこと。

今回の子どもたちの場合、親がいなかったから仕方ないといえば仕方ないんですが、彼らの心に澱が残らないことを祈るばかりです。また、叱る方も、彼らに「許し」を与えることができないというのを念頭に、叱り方を考えても良いのかもしれません。

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