よい子わるい子ふつうの子

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013/11/30(土) 22:27:42

ローソンで数の子の「松前漬け」のおにぎりとやらがでていたので、面白そうだなと思って買ってみました。ただ、買う前にちょっと躊躇ったのは、表に書いてあるこの文言。

松前漬け

数の子は国産ではありません。

お、おう……。

まあ確かにこのパッケージだと国産(北海道産)なのかなと誤解しそうですから、裏面ではなくて表面に、しかも結構大きくその注意書きを載せたというのは評価してもよさそうな気がしないではないのですが……。しかし、「国産ではありません」って、じゃあ何処産なんでしょう?

裏を見ても、特に何処ということは書いてありませんでした。

数の子というとニシンの卵です。ニシンですから寒い地域……ロシアとかでしょうか。Wikipedia先生曰く、「日本国外では、カナダ、アメリカ合衆国アラスカ州、イギリスのスコットランド、ロシアなどで水揚げされるニシンから数の子が作られ、日本もこれらの地域産のものを輸入している」とのこと。

そして、「アラスカなどの北米大陸西海岸側のものは主に塩数の子として、カナダのニューファンドランド島などの北米大陸東海岸側のものは主に味付け数の子として、またヨーロッパ産のものは塩数の子、味付け数の子双方として、それぞれ加工されることが多い」そうなので、北米かヨーロッパのものというセンが強そうです。

そっちのほうのやつだと、結構品質が良いという話を小耳に挟んだこともあり。たとえば、「北日本水産物株式会社」のHPを見ると、数の子の品質管理についていろいろ書かれていました。というか、「カナディアン・パシフィック・カズノコ協会」ってなんだ(笑)。そんなものがあったとは……。HPが思いっきり日本語で微笑ましい限り。

Umidasなどを見る限り、国産の数の子はほぼ「幻」状態。それを除いて一番いいのはカナダ産、というのが定説のようです。まあ、肉とかでも味わかんない私が、数の子の味の区別とかできるとも思わないんですが……。

とりあえず、どことは言いませんがなんかデンジャラスな地域のものではないのかという不安もあり……。中国にも数の子工場ありますしねぇ(参考:「中国の「カズノコ加工場」」)。だいたい、「国産ではない」と書かずに「○○産」と書けばよさそうな気がするのに、なんでそうしないんでしょう。もしかすると、バラバラの地域から仕入れているのかもしれませんね。その辺はちょっとよく分かんないです。

余力があれば問い合わせなりで調べてみようかと思っておりますが、もしかご存じの方がいらっしゃったらぜひ教えてください。

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2013/11/29(金) 22:03:59

今日は月末エロゲーの日でした。

エレクトロアームズ、スレイブニル、MA☆KOハンター、VBG、HHGの5本購入だけにとどめました。モバマスもあるので控え目です。あと、時間がやっぱり無いし……。

それはそうと、引取のためにアキバをうろうろしていると、「エロゲーなんて面白いのかね」みたいな声が聞こえてきました。ムム。ケンカヲウラレテヰル……!?

な〜んていきり立っていたのは昔のこと。最近はそういう会話が耳に入ってきても、別に怒り心頭ということもなくなりました。理由の中には悲しいかな慣れもあります。似たような「外野」の発言を聞きすぎて耐性がついてしまったというか。

ただまあ、それだけではない部分もあります。かまっても仕方ないというのではなくて、よりポジティブに考えられるようになった。

実際のところ、エロゲーが面白いか面白くないかというのは人それぞれでしょう。この手の表現がまったく合わないという人がいてもおかしくはない。だから、「面白くない」という意見があったとしたら、それは尊重したいと思います。(やりもせずにゴミだクズだと言っているのは論外として)

また、しばしば言及される、高尚か低俗か、みたいな問題も、私自身に関して言えば究極的にはどうでもいいこと。先日、このブログで音楽がどうこうという話をしたときにもちょっと触れましたが、高尚だろうがなんだろうがわからなければ面白くないし、別に高尚だから良いとも限りません。

たとえば、私は何度観ても能の良さというのがイマイチ分かりませんが、あの表現にこそ心惹かれる人がいるというのを否定しようとは思いません。そして、そういう人にとっては能というのが現代において文化的価値の高い、「高尚な」表現としてもてはやされていることはどうでもいいことでしょう。もしも上演すれば石を投げられるほど忌み嫌われて、発禁すれすれになるようなものだったとしても、その人は能を観続けるはずです。

他人から与えられる評価や価値とは無関係に、自分の中に「これ」という確信がもたらされる。力のある表現とはそういうものではないでしょうか。

私にとってはエロゲー(や、ラノベやアニメ)はもともとそういうものだったし、そうであることについて特に負い目も何もありません。

そうしてみると結局のところ、エロゲーを楽しめないより楽しめるほうが、恵まれている気がします。少なくとも私がエロゲーをやるときに感じるようなわくわくが、なくなったら私は寂しい。そのような意味で、エロゲーを楽しめる人間で良かったと思います。エロゲーをして楽しいと思えない人を気の毒だとは言いませんが、自分がその立場に置かれたら嫌だなぁ。

こういうのは、相対化を無視したズルズルベッタンな自己肯定だと言われればそのとおりかもしれません。ただ、一応問題は絞っているつもりというか、価値や意味とは別のところで自分に響いてくるものがあるというか、まあそういう話をしているつもり。煽られても痛くも痒くもないということはなくて、むしろ痛かったり痒かったりもするのですが、そういう風に考えて「やり過ごす」ことができるようになりました。

というわけで、エロゲーを楽しめるよろこびをかみしめながら、本日はMA☆KOをハントすることにいたしましょう。

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2013/11/28(木) 19:52:10

モバマスが本日2周年を迎えたそうです。

で、いろいろと「記念イベント」が催されているのですが……。

しまむらさん

しまむらさんが可愛くてヤバイ。

今日ばかりは、どうしてCuteプロデューサーを選択しなかったかと悔しい気持ちでいっぱいでした。いや、凛ちゃんもかわいいんですけど! ちゃんみおは……うん、まぁ、パッションな感じですね(目を逸らしながら)。というわけで、幾つかのトピックをつまみ食い。

まず、モバマスのテーマソング「お願い!シンデレラ」にアニメPVができていました。

これ結構デキが良いなぁ……。さすがお金持ち(笑)。まだ声のついていないキャラとかも結構登場していて、次の展開を色々と期待させてくれます。ただ、2分ちょっとの間にキャラ出しすぎて、一部のキャラ以外薄まっちゃっていて勿体無い感じもあります。せめて倍の長さなら……。

ちなみに、制服組が多くて明らかに「学園」っぽい雰囲気の中に、違和感バリバリで混ざってるkwsmさん(28)が涙を誘う……。シンデレラの魔法でも若返りは難しかったんですね。わかるわ。

将来本当にアニメ化とかあるんでしょうか。やって欲しいような、全キャラ出せないなら控えて欲しいような……。しかし百人を超えるアイドルを全部アニメで出すとなると、モバマス三国志やるしかないような気がします。魏がCo、呉がPa、蜀がCuで。しまむらさん劉備で。駄目ですか。

んで、次。おどろくべきことにソシャゲーの上位報酬にリアルアイテムが来ました。「限定オリジナルグッズプレゼントキャンペーン」だそうで。ボイス入り目覚まし時計、スポーツタオル、クリアファイルが当たるようです。これは、死人が出るのではないだろうか……。

更に、CDの単独ライブも決まったようです。これまでは本家アイマスとの合同だったわけですが、これで「棲み分け」が始まるのでしょうか。

ゲーム内部でも数々のイベントが目白押しで、今回は相当お得感ありますね。ぶっちゃけ今楽しいです。お財布のことは考えないようにしますけど。明日のエロゲー戦線大丈夫かなぁ……。

こういう「盛り上がってる時」の、勢いがあるイベントは良いですね。心躍ります。

そんなこんなでどうやら、もう少しモバマスを続けることになってしまったかな……。

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2013/11/27(水) 23:45:15

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 最近よく耳にすることだが、もはや画家は確固とした存在理由を失い、これからはアイデアマンかデザイナーとして生きる道しか残されていない、と言われる。本当にそうだろうか? そんなことを言われるのも決して故のないことではないが、複雑な今日の思想状況が、問題をますますややっこしいところへ導いているような気もする。画家のみならず、あらゆる表現者の手からは、確かに従来後生大事にしていた何かが、抜け落ちつつある。テーマの喪失だの、コンセプトとマテリアルの分離だの、意味するものと意味されるものとの関係の崩壊だの、という出来事の背景にある何か――。そしてその何かを表現者の手から奪いつつ、表現者を別な次元に招き入れようとする使者は、恐らく近代技術というコンテクストそのものであるように思う。

[中略]

 さて、以上のような場合の画家および絵画は、果たして何を指しているのだろうか。いろいろなことを考えることも出来るが、なかでも画家は、描くべき対象なり理念を明確に捉え、そのコンセプトをなんらかのカンバスなりマテリアルに、確実に転写実現する者だということ。そして絵画とは、画家に酔って確認されたコンセプトが、ストレートに明瞭な図柄で示された表面である、といった意味合いがなにより大きく浮び上がってくる。ここでは、表現する前からすでに絵画が出来上がっていて、他の要素の作用する余地のないことが分かる。別な言葉で言えば、表現すべきコンセプトが先に完成されていなければ、絵画は成立しないというわけだろう。美術に限らず、近代の表現のあり方に見られるのは、まさしく自我の前提の許に行われる一方的な理念の遂行であることは、再言するまでもない。

(李禹煥『余白の芸術』みすず書房)
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李禹煥の言う「近代の表現」思想、すなわち表現者は表現内容を完全に表現に込めているという考えは、同時にそのような表現を味わう者は、表現者の意図を読み取らねばならないという信仰を生み出しました。

前後関係で言えば読者論より前に表現論があった、というのは重要なことだと思います。

表現者は何を表現するのか。自らの思想、あるいは存在そのものを表現する。なぜなら表現とは、その表現者の身体によって直接行われ、その限りにおいて作品とは、決して真似ることのできない一回性を背負う。だから、味わう者はその作品を通して、作者に触れることができるし触れなければならない、というわけです。

こうした「近代の表現」への信仰は、その後さまざまな批判にさらされ乗り越えられ、いまではかなりナイーブ(乱暴、の意味のほう)なことが言われる局面でしか見かけなくなってきました。

ただ、その乗り越え方にも何種類かある。たとえば李氏の場合、作者というのは周囲の環境との相互作用の中で作品を作るから、作者が完全にコントロールして作品に意図を込めることなどできない、ということを言います。作品は作者の奴隷ではない、というわけですね。そして、作品というのは作者の理念が実現されたものではなく、作者がそこで生きている行為そのものだ、というような結論を導いています。

李氏の立場というのは、たしかに作品と作者(の意図、理念)との間の繋がりを断ち切り、その意味で「近代の表現」論と一線を画しています。しかし、作品に刻みつけられた一回性のようなものは抜き難く存在してしまう。これを不徹底だ、という人もいるでしょう。

文学におけるテクスト論であったりというのは、作品の一回性をも抹消するような形で進行しました。そこにあるのはただの文字列であり、読者はそれを自由に読むことが許されている。もっと言えば、作者が誰であってどういう背景や意図を持っていたかなどということは、一切読書行為には関係ない――。

私などは、こういう行き過ぎたテクスト論というのは作品を読者の奴隷にしてしまう行為だと思ってしまいますが、作者という呪縛から読者を解き放つという意味で果たした役割は少なくなかったでしょう。

シミュラークルの話なんかもそうですが、結局こういう「アウラの喪失」みたいな話ってデジタルの手法(デジタル、というと近代っぽいですが)と分かちがたく結びついているところがあります。特に、ワープロやコピー機の類の普及は、作品から「一回性」を急速に奪っていった。

だから、表現することや解釈することについて原理的に何かを考えるのであれば、「デジタル」とはそもそも何かということを改めて考えなおすのが重要ではないかなと思って最近いろいろと読んだり書いたりしてるですが、どうもまだまとまりません。

もう少しまとまったら、また何か書こうかと思っています。

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2013/11/26(火) 22:59:21

昨日あたりから、DTIブログの反応がにぶすぎるというか、ぶっちゃけ全くつながらない状況が続き……。保存したはずの長文が吹っ飛んだりして、結構萎えています。

もうすぐサービス終了ということで「仕方がない」のかもしれませんが、むしろだからこそ、最後はきちんとやってほしいなぁと思う。お世話になった場所への義理立てというわけでもないのですが、名残惜しさもあって最後まで更新をし続けて「終わり」を迎えるつもりだったのに、これではその意欲もとんでいってしまいそうです。

今日も、更新しようとして三回タイムアウト。一度クリックするごとに2分くらいかからないと表示されません。

まあ、さっさと乗り換えろってことなんでしょうかね……。しょんぼり。

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2013/11/25(月) 22:09:45

この前「無理やりでもインプットしましょうね」みたいな話をしたときに、どうも無理に詰め込んでも忘れてしまう、というお話を受けまして……それは私もそうなんですよね。

んで、私もこのままでは駄目だということを、悟りました。若かりし頃に。そこで私は、「読書ノート」というのをつけてみることにした。すると、これが案外良かったんです。なので、今日は手前味噌で恐縮ですが、ちょっとその話を。

と、大仰な前置きをするほど大したことをしているわけでもなくて、単にノートに読んだ本の内容をメモしているだけ。たぶん、読書家の人なら似たようなことをやっている方も多くおられるのではないでしょうか。

ただやり方にオリジナリティというか、幾つか私なりの「コツ」を用意しているので、それをご紹介しようかなと。あ、ちなみに、ここで想定している読書の対象は、基本的に論説系のものです。よくてエッセイまで。小説等は含みません。

まず、ノートは1冊の本につき1ページを使います。分量が多い本については見開き1ページにします(要するに2ページ)。で、まず目次をノートに写す。目次の隣には、読み始めた日付と読み終えた日付を書きます。

たとえば、こんな感じ。

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池上彰『池上彰のやさしい経済学』
▼目次
1)金は天下の回りもの ――経済とは何だろう?  2013.11.10〜11.10
2)お金はなぜお金なのか ――貨幣の誕生  2013.11.11〜11.11
3)「見えざる手」が経済を動かす ――アダム・スミス 2013.11.11〜11.12
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で、各章ごとに自分なりの「簡単なまとめ」を書きます。この時、私はその章の中で中心になると思われる箇所を抜き出すようにしています。

気をつけて欲しいのは、「自分が気に入った」部分ではなく、章全体を見渡したときに中心となっているであろう部分をピックアップする、ということです。もちろん一つに絞るのは大変難しいですし、かなり「無理」がでることもあるのですが、そこは強引にやります。

なぜなら、私がこの作業をはじめたきっかけというのは、本を読み終わっても全く何も頭に残らなかったり、長い間覚えていられなかったりという悩みがあったからです。そのようにスッカラカンになってしまうよりは、多少歪だったり誤差があったりしても、何か自分の中に残るほうが良いと思った。ですので、「ここ」という部分を一箇所だけ拾います。

プラス、その部分に自分なりのコメントを、短くても良いのでつけます。何故そこを抜いたのかとか、筆者の考えに対して自分はどう思うのかとか、何でも構いません。何も書かない時もあります。

たとえば、デカルトの『方法序説』(岩波文庫)のノートにはこんなことを書いていました。

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第一節
「以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。」※次のこと=旅 (p.17)

既存の学問の否定、新たな学問の開拓、デカルトが見限ったものは何か? なぜ旅?
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で、すべて読み終わった後で、全体の感想というかコメントを書きます。そのときついでに、過去の章コメントに対して自分でコメントを付けられたらコメントをつけたり、あるいは章のまとめが間違っていたかなと思ったら訂正を書いたり(前のものは念のため残しておく)する。

これでおしまい。

ちょっと時間はかかりますが、まあ各章30分も追加ではかかりません。しかし、そのわずか30分で内容を覚えたり理解する効率はぐっとあがったと私は思っています。

「ポイントはどこだろう」と思って読むから、章単位での主張内容を(誤りがあったとしても)把握しやすいし、読み終わった後で全体構成も確認しやすい。また、数日をかけて本を読んだ場合でも、前回までどんなことが書いてあったかを思い出し安くて大変重宝しました。

数ヶ月から、時には数年経った後で「あの本何が書いてあったっけ……」みたいなときにも便利ですし、個人的にはこのやり方は結構気に入っています。

別にやり方は何でもよくて、もし私や、私にお話を持ってきてくださった方と同じように、読んだ本を蓄積することができない、内容を覚えていられない……というような悩みをお持ちの方がおられたら、自分なりのノートを作ると良いかもしれません、と思います。

そんなお話でした。お返事になったか判りませんが、参考になれば幸いです。

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2013/11/24(日) 05:41:44

今日は、楽しみにしていた「WHITE ALBUM2 CONCERT」。

昼公演と夜公演の通しチケットを取って万全の体制を整えていたつもりだったんですが、もう例のごとくというべきかなんというべきか、外せない仕事が舞い込んできてしまい……。ひーん。・゚・(ノД`)・゚・。

必死に抵抗した結果、コンサートの時間をあけることはできたものの、11時くらいまで仕事。まあ職場がコンサート会場から近いのでタクシーで行けるのだけが救いです。

ってなわけで仕方なくこの時間から労働準備。トホホ……。

夜にはぐらいどさんが素敵な企画(立食形式の大規模オフ)をしておられたのですが、これも一身上の都合で出ること能わず。残念です。本当はいろいろ協力できたらよかったのですが。

企画のぐらいどさん、あと名札づくりや会計でお手伝いをされている皆さん、本当にお疲れさまです。出席者が100人近いということで想像を絶することになるのではないかと思いますが、無事成功することを祈っております。

コンサートのレポートは、近日中にあげられたらいいなという感じで。

さて、それではまた明日。

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2013/11/23(土) 06:04:07

まとめサイトで取り上げられていたんですけど、感心したのでこれ。

 ▼「カタカナひらがな7文字で人の顔のAA出来たったwwwwwwww

カナ顔文字

 ミミミ
 ど う
  こノ

おお……。地味に顔の部分が「どうこノ」という意味ありげな並びになってるのも良いですね。

当該スレではいろんなバリエーションが開発されたようで、

AA2
ハゲみたいな面白いのもありましたけど、やっぱりカタカナ・ひらがなだけで描けるという元のAAのシンプルなインパクトと魅力には勝てない気がします。

 ミミミ
 ど う
  てイ

下を「どうてイ」に すると、ちょっと横向いてタバコくわえてるみたいな感じになるというのはナルホド。これは割りとアリ。

いやあ、上手いですね。ホントに昨日開発されたのか、もっと前から使われていたけどはやってなかっただけなのか判りませんけど、描くの簡単だし、かなりキチンと顔に見えるのが凄い。

問題は、どんなシチュエーションでこれ使うのかっていうところでしょうか。

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2013/11/22(金) 23:56:58

私のちょっと上の立場にあたる人たちは、どうもクラシック音楽が好きかつ精通しているようで、食事のときとか旅行やら何やらで集まったときにそっち系の話になるとしんどい。私は置いてけぼりです。

ショパンだのベートーベンだのみたいなド素人にも分かりやすい話ならまだ良いんですけど、やれラフマニコフだのドビュッシーだのという単語が飛んできて、主なクラシック音楽の情報ソースが漫画な私にはついていくのとてもむぅ〜りぃ〜(森久保乃々)。なんだよドビュッシーって。射精音かよ、みたいな(失礼な)。

チャイ語って言うと私の中では中国語なんですが、彼らにとってはチャイコフスキーの交響曲第5番(チャイ5)だそうで。話がかみあわねー! (全然精通してる感じしないかもしれませんが、私が覚えてるのがこのくらいの話題しかないだけで、ホントはなんかもっと詳しいこと言ってます。身内の名誉のために一応弁護をしておきます)

まあ私は耳も大したこと無いので、アシュケナージの演奏がどうだとかこうだとか言われてもさっぱりわかんないし、わかる人はすげーなぁという感慨を抱くしかない。音楽的感性とはちょっと違いますけど、絶対音感とか羨ましい。憧れの的です。ただ、ちょっと「おいおい」と思うこともあり。

というのも、どうも彼らはJ-POPがお嫌いらしく(洋楽がどうなのかは、話しているのを殆ど聞かないので不明)、あんなのは音楽じゃないとか、深みがないとか低俗だとか、まあそういうことを言っちゃう。私は、それを聞くとも無く聞いてしまう。

んで、J-POPとアニソンで育った私としては「う〜ん」となるわけです。

好きなモノをけなされたから嫌だというのはもちろんあるんですけど、そもそも私には彼らが信奉するクラシック音楽の「高尚さ」がさっぱりわかんないんですよね。もう少し言えば、その高尚さからしてJ-POPやアニソンはどう低俗で、そのことがどう問題なのかよくわかんない。

一度聞いてみたこともあるんですが、音楽文化にとってどうだとか音楽表現とはこうだとかいう話をされて、最後は「まあOYOYOくんみたいな素人にはちょっと厳しいかな」(※意訳)みたいなことを言われてゲンナリして、以降深入りするのを避けるようになりました。今どきこういう化石みたいな選民思想を持ってる(しかもそれを公言しちゃう)人っているんだなぁという妙な感慨を抱き。

こういう話をしたのはもちろん、クラシック好きな人が無茶苦茶だと言いたいわけではありません。今回の話、クラシックVSJ-POPみたいな対立構造でも読めるような話になっちゃったのはちょっと失敗したでしょうか。

そもそも、どちらかというとこういうのって、クラシックよりJ-POPとかのほうに多い気がする。たとえばJ-POPやアニソンを好きな人が「高尚さ」故にクラシックを貶すというのは、今回のことの裏返しでしょう。ポップスはもともと、クラシック音楽などに対する「サブカルチャー」だし、アニソンなんかはカウンターカルチャーみたいなところがありますし。

私が「ビミョー」と思ったのは、要するに偏狭なセクショナリズムを発揮して自分たちの集団の結束のために外の敵を攻撃するというパターン。私の上の人達の発言というのは紛れも無くそれだと、私は判断しています。

実際、クラシックを楽しむためなら他の音楽をけなす必要はないし、他の音楽の問題点を指摘するなら、自分たちの好きなものと比較してその優越性を誇示する必要はないはず。他の文化は他の文化で認めれば良いし、喧嘩をするつもりならもっと深くきちっとした準備をするのが礼儀というものでしょう。

外に敵をつくって、しかもその相手をただ貶めることによって自分たちの主張の強化をしたつもりになったり、あるいは所属するコミュニティの結束を固めるというのは見ていてあまり気持ちのいいものではありませんね。

まあ、飲み屋で行われる与太話と同じような身内での会話にそこまで目くじら立てる私も大人げないといえば大人げないのですけど。

……え、この記事自体が「外の敵を貶めることで自分の主張を強化している」んじゃないかって? ううん、それを言われると弱い(駄)。そういうブーメラン性は認めざるをえないのが、この手の話題をするときの難しいところです。

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2013/11/21(木) 23:50:06

一般的な話になるかわからないのですが、仕事でもサークル活動でも趣味でも良いんですけど、アウトプットをする人に向けた話だと思って下さい。そうでない人にも通じるところはあるのかもしれませんが、さしあたり。

アウトプットをするというのはたとえば、何か作品を書いたり、あるいは人に何かを教えたりというのを想定しています。で、そういうことをするにはインプットが必要だということは何度かしてきました。しかし、この時間がなかなかとれない。

私自身を振り返ってみても、最近シーズン的なこともあって非常に忙しい。あんまり忙しい忙しいと言うと苦労自慢みたいになって微妙ですが、そういう大変だとかしんどいとかそういう話ではなくて、単純に時間が無いのです。じっくりとものを書いたり考えたりする時間が。

モバマスやってる暇はあるんじゃねーかというツッコミはおいといて。5分とかはとれるんですよ。さすがにスマホをタップするくらいはできる。ただ、そこそこまとまった時間がなかなかとれない。

仕事とか、あるいは学生さんであれば学校行事、日々の講義というのは、それ単体では5時間とか6時間くらいしかなくても、準備だの何だので、結局1.5倍〜2倍くらいの時間をとられてしまいがちです。そして、いわゆる「目の前のことで手一杯」の状態になると、息抜きの時間が無いというのはまあ「忙しい」ので仕方がないとしても、自分のための投資みたいなことがやりづらくなる。

自分のための投資というのは、本を読んだり、あるものごとについて考える時間をとったり、あるいは知人友人とコミュニケーションをとったりというのも含まれるかもしれません。とにかくそういう、仕事ではないところで自分の幅を――抽象的な言い方になってしまいますが――広げるようなことをやれるかどうかというのは、結構大きいと思います。

ちょっと計算してみましょう。一週間に1冊でも良いから本を読むとします。一ヶ月で4冊。一年でだいたい50冊になります。もちろん、年間50冊なんて少ない、という人もいるかと思いますが、しかし「忙しい」状態になると本を読む時間とかってまっさきに削ってしまい、ほとんどの人は全く読まない日々が続いたりするんじゃないでしょうか。

そうしてそんな日々が1年、2年と経っていくうちに、ちょっとずつでも読んでいる人との差は100冊、200冊と開いていくわけです。長いスパンで見ると全然違ってきてしまう。

だから、「ウサギとカメ」のカメのように、地道な歩みというのは止めるべきではないし、そのための時間は無理をしてでも確保すべきではないかと、個人的には思っています。

いろいろ難しいスケジューリングなどをしなくても、たとえば朝を1時間なり30分なり早く起きて時間を作る。朝・昼・夜で20分ずつ時間をこじ開ける。そういうことはやってみると意外とできるものだし、それ(時間を開けたこと)によって致命的に仕事なんかにダメージが出る、ということはほとんどないハズです。

要は、「やらねばならないこと」というのは多少優先度を落としてもどうせ処理するにきまっているので、それなら自分のための時間の優先度をあげて、そっちを軸に生活考えてみてもいいのかもしれません。

私はとりあえず、1日30分はエロゲーの時間をとるようにしてます……。まさかこの歳になって、「ゲームは30分まで」のルールと再会するとは思いませんでした。

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